コロナ禍になって、明らかに子どもたちの学業において、重篤な変化が見られました。
一時期、学校に通えなくなったこともあり、子どもたちの生活習慣が完全に破壊されたことで、学習習慣も破壊された子が相当数を占めました。
リモートによるオンライン指導が試行錯誤の末に施されたものの、目の前でのFace to Faceの指導でない以上、
子どもがサボろうと思えばいくらでもサボることができ、学業から逃れようと思えばいくらでも逃げ切れる学習環境に陥ってしまったのです。
その結果、全国的にも子どもたちの学力はコロナショック前と比較しても、暴落の一途を辿っています。
学校が通えなかった時期でも学習習慣を崩すことなく日々の学習を継続させてきたごく少数の上位層の子たちと、
スマホやゲーム三昧などで夜更かしが常態化して日々の学習習慣が崩れ落ちていった大多数の中下位層の子たちとの学力超二極化は、もはや縮められるレベルではなくなりつつあります。
社会に出るにはまだまだ早い子どもの段階ですでに、社会人になってから「こき使う側」と「こき使われる側」の明確なポジショニング格差が浮き彫りになってくるわけで、
それは将来的な高所得者と低所得者の分別をも意味します。
それとコロナ禍において、子どもたちの埋めようのない学力格差が生じただけでなく、学校生活も乱れてしまったことで、メンタルが不安定になる子も続出し、不登校になってしまう子が後を絶たない状況です。
毎年、不登校の増加率が過去最高を更新し続けているのです。
学校を休むことへの抵抗感が薄れた子、交友関係が築けない子などの理由から登校意欲も低下したからでしょう。
親御さんの世代では考えられない『頑張らなくても、どうにかなる』社会構造へと一変してしまいました。
優等生をキープする多少の例外はあるものの、不登校となってしまった子の学力は、悲惨な状況まで落ち込みます。
当塾でも偏差値70クラスの上位層の塾生がコロナ禍で不登校になってしまい、ついには学校の授業にすらついていけない状態に陥り、
本人がますます学校に通いたがらなくなって、ほぼ無試験の通信制高校に進学という流れとなってしまいました。
それが悪いこととは全く思わないものの、客観的に事実を捉えるのであれば、通信制高校に進学する子は、よほど目覚めない限りは最底辺の学力を彷徨います。
なぜなら、頑張って学力を上げる必要性がないからです。
自分の好きなことを第一義にして、日常の学校生活を楽しく過ごして卒業するかに比重が置かれます。
メンタルを病んで進学する子もいれば、自分自身に甘々で自堕落を改善することなく親が甘やかして進学する子もいることから、
色々な意味で多様性に溢れているため、中堅~上位・難関大学への進学を前提とした学業での成果を求めるのは酷な選択肢になってしまうわけです。
また、不登校までには至らないものの、生活習慣の乱れによる学習習慣が乱れたことで、内申点が大幅に下がった子、落ちてはいないけど大して上がってもいない子が、
面接や小論文もしくは形式だけの有名無実化した学力試験であっさり合格する中堅~下位レベルの私立高校に単願で受験する子が急増している現実も見逃せません。
“しっかり勉強してこなかった” “だから成績がとれなかった” “なので内申点もそんなに良くなかった” などなど色々と前提条件はあるわけですが…、
負のスパイラルを自分で招いておいて「だけど、入試で大変な思いをするのはイヤだ」という自堕落な子どもの甘えからこのような選択肢が出て、
キラキラ系の表面的な集客装置に長けているオシャレな私立高校への志願者数が一気に増えてきている現状です。
このような選択肢をとる子は、基本的に人間的中身が薄く、物事の本質を捉えることができません。
結果、学力が低い層になればなるほど、多く見られる傾向とも言えます。
大抵こういった子たちは(一部例外はあるものの)論理的思考力が欠如しているため、事象を客観的に捉えての判断や行動が取れないことから、
大学受験だけでなく社会に出てからもホワイトカラー職では通用しません。
自分に負荷をかけて、苦しくても、キツくて余裕がなくても、己の成長のために挑戦することをしない。
常に、楽な方向にしか自分を導こうとしない。学力的にも上の世界を知ることなく終わる。
メンタルを病んでの進学の選択肢がそれしかなかった…というケースは除くとしても、
己の自堕落ぶりを棚に上げて、短絡的理由で安易に通信制高校への進学を決めた子たちも同じような道を辿ることになるでしょう。
要は『頑張らなくていい』環境に身を委ねてしまったが故の悲劇というか、言い方を変えれば自己責任とも言えるわけですが。
コロナ禍になって、わが子の生活習慣が不安定になってしまったことを心配しすぎてしまったお父さんお母さんが、お子さんに「そこまで根詰めて、頑張らなくていいんだよ」「もっと気楽に生きていいんだよ」と遠慮気味になってしまったのか、
子ども自身が一皮むけて成長曲線を描くような展開にすることなく「わが子の意志を尊重する」という一見まともに聞こえる大義名分のもと、
結果として、子どもの甘えを認めてしまっているが故に、このような低学力層の量産が加速していくのが皮肉というか。
誤解なきよう先に申し上げますが、
通信制高校や中下位の私立高校に進学することが悪いと言いたいのではなく、
あなたの大切なお子さんが安易に『頑張らなくていい』選択肢をとって、将来何かしらの希望する仕事が見つかったときに、
その土台となる学力が欠落していることで職業選択の幅が狭まっていたことに気づいても後の祭りであるだけでなく、
己自身の可能性を磨くことをせずに、頑張って事を成すことの大切さを理解しないまま社会人になってしまうのは、
人生でのキャリア構築において不幸でしかないということです。
確かに、現時点で、この国は『頑張らなくても生きていける』社会ができあがっています。
生活保護を含めたセーフティネットが充実していますから。
先人たちが苦労して造り上げてきた枠組みのおかげで、私たちはいざというとき、その恩恵にあやかれます。
しかし、昨今の急激な円安が追い打ちをかけたこともあり、国内経済は先細りして景気悪化の一途を辿り、全世界でトップクラスだったはずの国内産業の技術力は海外にどんどん抜かれていく中で、
国民ひとりひとりの所得も、世帯所得も、貯蓄額も、どれもすべて減少していく一方です。稼ぐチカラが弱まっています。
税金や保険料は上がる一方、所得は全然上がらず、生活は苦しいまま。
年金受給年齢はどんどん遅らされて、社会保障の基盤も揺らぎつつあります。
高度経済成長からのバブル崩壊で国内産業全体がイノベーションを取り入れずに安定志向を求めてきたこと、
それによる産業構造の転換が遅れたこと、就職氷河期世代を受け入れてこなかったが故に管理職を任せられる人材が全然育っていないこと、
そして “ゆとり教育” から “さとり世代” 人材の市場での流動性が激しいが故に、余計な経費で圧迫され、しかも人材が育たないなど、企業の長期的な成長戦略が頓挫しかねないことなど、
GDP成長率の下落の原因が複合的とはいえ、社会も産業も人材も、すべてにおいて劣化しているのは確かであり、
その現実こそが、所得面にもダイレクトに悪影響を及ぼしているのです。
本来であれば、優秀な人材がもっともっと出てこなければならない局面です。
優秀な人材に共通しているのは、専門性を有する上で不可欠となる、土台となる高い学力があること。
経済も技術も飛躍的成長を遂げて、日に日に世界を席巻している中国では、高校1年生で3年間分のカリキュラムをすべて終えて、2年生からは受験勉強に入ると言われています。
中国国内の名門大学を経て日本の大学院にやってくる留学生はもちろん、日本の大学に入学する中国人留学生も、1000万人との勝負とも言われる苛烈な競争を経験してきており、日本にやって来てからも、勉強することを止めないそうです。
そこに至るまでひたむきに『頑張ってきた』学生は、高い学力だけでなく、忍耐力や判断力・実行力も養われており、それだけ鍛え抜かれた土壌に専門的知識や技術力がプラスされれば、
どこの上場企業でも喉から手が出るほど欲しがりますし、そのような数多くの人材を輩出するからこそ国も飛躍的成長を遂げているのも納得するしかありません。
日本人学生がアルバイトや遊びに没頭する中で、彼らは家と大学を往復する毎日を送り、ひたすら勉強、研究に明け暮れる。こうなると『頑張らなくてもどうにかなる』日本人学生とは、ハナから勝負になるわけないのです。
大学卒業後、社会で活躍する際の専門性や技術力をはじめとする生産性で、最初から圧倒的な力量差が生じてしまい、
『頑張らなくてもどうにかなってきた』人材は閑職に追いやられるか、実質上の戦力外として発展性のない転職活動に勤しむ展開がすでに見えています。
経済面・所得面において『頑張ってきた』人材よりも、『頑張らなくてもどうにかなってきた』人材にはシビアな後々の人生が待ち受けているのです。
さて、ここまでの話から少し外れますが、日本テレビ系ドラマ「ファーストペンギン」をご覧になられていた視聴者の方もいらっしゃるかと思います。
縁もゆかりもない漁業の世界に飛び込んだ若きシングルマザーの主人公の女性と、彼女と共に改革の荒波にこぎだした漁師たちの奇跡の実話をモデルに描いたリアル・サクセスストーリーでした。
その最終話で取り上げられたのが、外国資本(海外企業)の参入による漁業権の問題です。
主人公の女性率いる船団と業務提携した国内の食品商社が、実は株主全員が外国人で、日本の土地や企業を買いあさる外国資本の会社だったことが発覚。
日本の海や浜辺への経済的侵略を許すだけでなく、防衛上の問題まで発生する(法律に抵触するか否かの)国益を無視した脱法行為にあたる利権目当てが提携目的だったと気づき、
主人公が慌てふためいて涙し、提携解除に向けて船団一丸で挑むというストーリーを眺めながら、今後はこれが現実になっていくなと感じます。
日本の少子高齢化は止まることなく加速し、政治的にも、今後は移民受け入れも本格化していくでしょう。
それに伴い、海外企業の日本進出も加速していくはずです。
日本国内に企業を置くとはいえ、企業側が優先する人材は、自国民である海外勢の人材になります。
それが何を意味するのか?
この国はこれまで「良い高校、良い大学、良い企業への就職」という理想の人生設計の方程式みたいな教育が、親にも子どもにも色濃く根づいているキャリア構築の手法だと考えられてきました。
有名大学から優良な上場企業への就職に目指す&憧れる若者たちが、競争だらけの厳しい大学受験までの道のりを歩んできたわけです。
ところが、今後は国内の優良企業に念願叶って就職できたはずなのに、実は外国資本の企業であるが故に厳しい成果主義に晒され、海外勢の人材よりも待遇が下がった低賃金労働を強いられる可能性が高くなってきます。
おかしいですね。
日本国内で、自国民優先の社会でキャリア構築に成功したはずなのに、
日本国内で良い人生設計に落とし込んできたはずなのに、なぜ国内で経済的に苦しい人生を迫られるのか。
「こんなはずじゃなかった、自分の人生…」と気づくのは、そのときになってから。
そこで初めて『頑張らなくていい』人生を選んできたことを後悔するか諦観するかになるのです。
なぜなら、経済的・所得的にも恵まれて、幸福感を享受する人生を過ごせるのは『頑張ってきた』人材だからです。
学業をしっかり積むべき学生時代に、自分に負荷をかけて、苦しくても、キツくて余裕がなくても、己の成長のために『頑張ってきた』からこそ、
土台となる学力から専門性を高め、生産性の高い仕事から膨大な利益を生み出し、それが自身の経済的余裕となって返ってくる。
『頑張らなくていい』人生を選んできた人材には、1ミリのチャンスも回ってこないのですから。
残酷ですが、楽を選んできた分、不幸という名の代償は必ず回ってくるのです。
幸福度の享受と経済的豊かさは、相応に連動してきます。
経済力があれば、己の望むことを叶えられるチャンスや自己実現が増えていくのですから。
お父さんお母さんが、お子さんに望む未来予想図は様々だと思いますが、どこの親御さんにも共通しているのは「わが子に幸せに生きてほしい」ではありませんか?
幸せのカタチというのは、もちろん人それぞれで基準は異なります。
ただ、ひとつだけ間違いなく言えるのは「お金に困る人生になってほしくない、貧乏にだけはなってほしくない」ではないでしょうか。
先述した通り、国内経済は先細りして景気悪化の一途を辿り、国民ひとりひとりの所得も減少していく中で、税金や保険料は上がっていく一方ですので、
日本という国で幸福感を享受するのはどんどん難しくなっていきます。
稼ぐチカラが弱まっていく世の中で、いかにして経済的優位性を勝ち取るか。
それには、やはり『頑張ってきた』と言い切れるぐらい学業に励み、高い学力を身につけておくことが前段階として必要になってくると確信しています。
そこから高い生産性を生み出す職種に就かせることこそ、親にとって、子どもへの教育防衛策となっていくのです。
子どもの幸せな人生を望むのであれば、やはり『頑張らなくていい』子に育てるのは得策ではないのです。
親がそこに気づけるかどうかで、子どもの将来設計や幸福度が大きく変わっていくのですから。
必要な時期に、必要なだけ『頑張らせる』ことは、子どもの成長の大きな糧になります。
頭がスポンジみたいに柔らかくて吸収力が強い幼少期に勉強するのと、頭が硬くなったオトナが勉強するのとでは成果の上がり方が全く異なるのと同じで、
子どもに幼少期から学生時代までに必要なだけの苦労を積ませて『頑張らせる』ことは、処世術を含めた社会適応性や問題解決能力の習得に大きく結びつきます。
若い頃の苦労は買ってでもしろ!ということわざは、まさにその通りです。
ここまで恐ろしく長い文面をわざわざ精読して下さった読者のお父さんお母さん、お子さんが幸福感を享受した人生を過ごせる未来予想図を描きたいと望むのであれば、
どうか学生時代までに必要なだけの苦労を積ませて『頑張らせる』ことを経験させてやって下さい。
学生の仕事は学業ですから、やはり学校での日々の学問、そして入試を突破する高い学力を身につけさせてあげて下さい。
そのためにも、自堕落な子どもの甘えからの要望を「わが子の意志を尊重する」という大義名分で認めるのではなく、
お子さんの意志や要望に筋が通っているのか、頑張らなくていい方に走ろうとしているのかを、しっかりと見極めてから決断をすることをお勧めします。
私が “子どもの心を鍛えて、学力的にも精神的にも、どこに出しても恥ずかしくない子に育てる” という指導方針で営んでいる学力再生工房AQURASという学習塾は、
規律や礼節を大切にして、自己管理のできる人材に育てるための寺子屋です。
己をアップデートして能力を高めるために日々取り組む子を褒める反面、自堕落でいい加減な行動や思考の子には、ときに厳しい指導も入ります(当然、殴る蹴るはありません)。
そういった改善点の多い子にも、どうかこれから良くなってほしいとの意味を込めた叱咤激励を含めた指導であり、
長期的に取り組んでいけば、態度面や学力面が大きく改善する子の方が多いです。
そして、必要な時期に、必要なだけ『頑張らせる』ことを通じて、学力だけでなく、人間的成長も加速させていきます。
自分で考えて、自分で行動できる子に育っていくのです。
ウチの塾は入塾面談に来られた親御さんが「こんなにみんな静かに勉強しているんですね…ものすごい環境ですね」と驚かれる方が多いのですが、
ウチの塾にとっては当たり前のことであり、そもそも真面目に、真剣に取り組める子しか入塾してきません。
ですので、塾生の質や学習環境の良さは、塾として恵まれているだと自負しています。
そもそも、ウチの塾は成績アップや志望校合格は第一義としていません。
あくまでも規則正しい生活習慣や学習習慣を創らせる自己管理能力を身につけさせる塾ですから。
ですが、結果的に学業面での成果を上げる子がほとんどだったりします。
理由は簡単で、自己管理できるような自立する子は、そもそも成績も伴っていくからです。
学力を上げるための指導ではなく、まずは意識改革による自己管理できるチカラの育成から。
その先に、好成績や志望校合格などの目標達成による学業成就が待っています。
さらにその先に、幸福感を享受できる人生設計の入口へと辿り着いていくのです。
あなたの大切なお子さんを、ぜひ『頑張ってきた』と言い切れるくらいの成長環境を与えてあげることもまた、真に子どものことを想う親の愛情であると、私は考えています。
これまでも、そしてこれから先も。
それだけは変わりません。
※追伸
ここまで書き綴った内容は、読んで下さった皆様全員の共感を得るものでないことは重々承知しております。
その上で、私自身が学力再生工房AQURASという学習塾を通じて、私個人の次世代を担う若者を、どこに出しても恥ずかしくない立派な人材に育てるという指導方針と想いより記させてもらったことをご了承下さい。
学力再生工房AQURAS
村上 浩司