ここでは、塾長:村上に寄せられた全国の中学生・高校生からの相談に対して “突き放す優しさ” でアドバイスした内容をご紹介します。
相談に対しての村上からの言葉は多少冷たいですが、そこから自力で這い上がれ!というエールを込めたメッセージとして受け取ってみてはいかがでしょうか。
Q. なかなか本気出せないけど、明日から本気出そうかなと思っています!
A. 口だけで終わらないことを、心から願うわ。
なぜなら、口だけ番長や口だけ野郎が世の中の8割を占めるから。
マーケティング用語に、パレードの法則というのがある。
80:20の法則とも呼ばれるが、この場合は8割の口だけ人間と、2割の有言実行できる者に分類される。
好きな科目から手をつけてみたり、周囲に宣言したりなど、自分を追い込む環境を作って動けばいい。
おまえの周りは、もうすでに本気でやってるかもしれないよ。
差をつけられたくないなら、無理やりにでもエンジンかけて、さっさと始めてみればいい。
Q. やる気が出ないんですが、どうしたら?
A. そもそも、人間のやる気なんて対して持続しないから。
やる気なんて、自分で出しに行ってナンボだろが。
まずは短い数分とかから始めてもいいし、完璧を目指すから脱落してダメになるので完璧を求めなければいい。
行きたい憧れの学校に想いを馳せるとか、タスクリストをまとめて優先順位をつけて分かりやすくしてから始めるとか、
長期的にやる気を維持したいなら、目標設定をぎゅうぎゅう詰めにしないことが鉄板だと思うが。
Q. 自分の部屋で勉強ができないんですが…
A. 親の世代、オレの世代はエンターテイメントなんて、ファミコンでスーパーマリオとかドラクエ・ファイナルファンタジーやファミスタ、ゲームボーイやってるぐらいしかゲームの娯楽がなくて、TVやビデオ除けば家の中に大したエンターテイメントなんてなかったけど、
今の時代はエンターテイメントも多すぎるし、インターネットの普及やスマホでのオンラインゲーム・SNSの台頭で、もはや家の中が勉強する場所ではなくなってる。
誘惑になるものしかないのが、今の時代特有の家庭環境だ。
なので、そもそも自分の部屋や家の中で、まともに勉強できると思わない方がいい。
最低でも学校や町の図書館で勉強するとか、どうしても自分の部屋で学習効果を上げたいなら、誘惑物をすべてシャットアウトしてから取り組んでみてはどうかな?
そこまでやってもダメなら、オレに相談してくればいい。
そもそも、ウチの塾生はほぼ全員、学び放題で毎日通って学校のH.Wも塾の勉強もしてるから、家に帰って自分の部屋で勉強しなくても成果が上がってるし、成績もみんな上がってる。
塾で全部片づけてしまうからな。
誘惑のない塾で勉強する時間と、誘惑だらけの自室で勉強する時間、時間の密度が全然違うよ。
誘惑のない、集中力が高められる、緊張感のある学習環境が整っているウチの塾でだからこそ、成せる技ではあるが。
学習環境の点で勉強できないことが自分で分かっているにもかかわらず、家の中に勉強を持ち込んだ時点で、実はおまえの負けだ。
Q. 毎日学校も部活も忙しすぎて、勉強する時間がうまくつくれないんですが…
A. 人生を幸せに過ごすための絶対条件として『タイム・マネジメント(時間管理)』ができる人間になれるかどうかだとオレは考えているし、同じことを思っているオトナや親が圧倒的に多いのではないかな。
時間の使い方がヘタな者、時間がつくれない者、恐らくは学業も成果が上がらないし、そういう類の者は必然的に成績も悪いし、偏差値も上がらない。部活も成果が上がらない。
当然、オトナになっても仕事ができない無能野郎に振り分けられる可能性が高く、どこまでも暗い人生設計がつきまとうことは想像に難くない。
学業の成果というのは「学習時間」×「学習効率」で明確に現れると思っていい。
1日の中で、どこかに日々ムダにしてる時間はないか?スマホいじりすぎ、LINE中毒で時間ムダにしてないか?
どこかに必ずムダにしてる時間あるよ、誰にでも。
その隙間時間を見つけ出して、ムダを削り出して使える時間を増やせる者こそ、何事にも結果を出すだろう。
わずかな時間でも、毎日取り組めば、フツーは実力に結びついていくさ。
Q. 学習計画を立てても、計画倒れしちゃうんですが…
A. そもそも、子どもに限らず、オトナのビジネスの話であっても計画通りに事が進んで、予定通りにすべてが完了するなんてことは、あるわけない。そんなもの不可能だ。
超一流企業のプロジェクトであっても完璧に完了させることなどムリだし、プロジェクトが脱線することを見越して、計画を立てているものだ。
脱線しても計画通りに完了するように、どこの企業も事業も、余裕を持って計画を立てているし、それがミッションコンプリートの絶対的条件だぜ。
なので、計画倒れになることは想定内事案なので大した問題ではないが、計画倒れを招くような余裕のないキツキツな学習計画を立てている時点で、おまえの失敗だと自覚した方がいい。
リスケ(再調整)すること前提の上で、計画というのを組み立てるべき。
キツキツな計画立てて、自分だけは上手くいくと思っているなら、ただの勘違い残念野郎でしかない。
できない計画なら、そもそも作る時間がムダだよ。
脱線しても問題ない!と思える計画を作るよう心がければいい。
Q. どこが分からないのかが、分からないんです…
A. 頭、大丈夫か? そんな状態でよく相談してきたというか、何が分からないのか分からないなら、そもそもオレが助言のしようもないだろうが。
体育会系の部活の試合でもそうだけど、試合や大会の後に必ず反省会やるだろう。あれ、何のためだと思うよ?
良かった点と悪かった点をみんなで挙げて、改善して次につなげるためにやってるわけ。
団体戦ならチーム分析、個人なら自己分析ということなるが、学業において、自己分析で自分の強みと弱みを把握できていない者が、上位に君臨することはまずあり得ない。
自己分析できる人間なのかどうか、それは自分を客観的に見れるかどうかでもあり、周囲のオトナや、大学入試の面接官、就職活動の企業の面接官も相当重視してる項目だよ。
どこが分かってないのか分からないなら、ひとつの解決策として、逆に現時点で分かっていることを書き出してみればいい。
そこから逆算して、分かっていないことを範囲を絞っていって見つけ出せばいい。
そして、分からないところが見つかったら、そのまま放置プレイは絶対せずに、その場で解決させること。
Q. 僕は要領が悪いので、勉強も苦手です
A. それを理由に正当化してる時点で、非常にみみっちい人間だとオレは感じてしまう。
そもそも、要領が悪いのと勉強ができない&成績が伴わないというのが、なぜイコールになるんだ?
そんなもの、おまえが勝手に思い込んでいるだけで、要領悪くたって結果出して者は、世の中に履いて捨てるほどいる。そういう者たちに失礼だと思わないか?
要領が悪いと思うのであれば、イヤだと思うことほど先に片づければ、メンタル的にも楽になるだろう。
もし勉強が嫌いなら、さっさとイヤな勉強を終わらせて、楽しいことしよう!とプラスに転化すれば、いくらでも結果が伴う日々を過ごせると思うんだけどな。
Q. 音楽を聴きながら勉強してるのですが、勉強に集中できないというか…
A. 確かに音楽を聴きながら勉強してる者は多い。
ただ、結果が伴っている者とそうでない者の差は激しい。
結果を出している者が音楽を聴きながら勉強してるというのは、BGM代わりに歌詞のないクラシックやダンスミュージックで集中力を高めようとしている場合のみ。
結果を出してない大半の連中の音楽聴きながら勉強してるというのは、邦楽洋楽ロックなどの歌詞をバンバン聴きながら、もはや歌詞とメロディーに感覚と神経が全部持っていかれているわけだから、勉強に集中なんてできるわけない。
挙句の果てに、勉強しながら歌詞を口ずさんでしまうなら、それは一旦勉強止めてカラオケ行って歌ってきた方がいい。その方が潔いし、ストレス発散にもなるし、カロリー消費もできるし、良いことづくめだ。
少なくとも、まともに勉強をやれるような学習環境ではないし、自分自身で学習環境を潰しているといったところか。
まずは勉強するときぐらい、流行りの歌から距離をとってみたらいい。
もしくは、音楽が聴けないパブリックな場所に身を置いて、強制的に集中するしかない状態で取り組んでみるとか、改善の余地はいくらでもあると思うがね。
Q. ケアレスミスがなければ、もっと点数が取れて、成績も良くなるはずなのに…
A. まず、自分自身の認識が、残念なくらい根本的に間違っていることに気づくとこから始めようか。
ケアレスミスがなければ…というセリフを吐く中学生・高校生をもはや数えきれないほど見てきたけど、すでにそこで大きな勘違いをしてる。
ケアレスミスがなければ…じゃなくて、無くならないからケアレスミスなんだけど。。。
偏差値75の奴だって、定期テストや模試で5科500点の満点を奪取できる確率は限りなく低い。悪くて5科470点以上、良くても490点台が限界ではなかろうか。
偏差値最強クラスの連中でも、学校の定期テストとか模試の問題で、全問正解を獲ることは不可能に等しい。必ずどこかしらでケアレスミスを出してしまう。
それも、教科書レベルのくだらない問題で点を落としているわけで。
だから、世の中のほぼ全員というか、ケアレスミスを出さない者など、皆無に等しいということは断言できる。
要は、ケアレスミスは必ず出るものだと考えて、ケアレスミスを出してしまっても、その他の部分でカバーして総合点が上がっていればいいと割り切って臨めばいいだけのこと。
ただ、ケアレスミスを減らすことは間違いなく可能だ。
そして、ケアレスミスを減らしていけば、自動的に穴が塞がって、点数もどんどん上がっていく。そのために、ケアレスミスを無くすことではなく減らすための方策を考えた方が、実に合理的だ。
ケアレスミスをしやすい者と、ケアレスミスを実際に出し続ける者は、似ているようで全然違うから。
Q. たくさん問題を解いているけど、成績が上がらない…
A. ウチの塾でもインプット学習よりアウトプット学習を重視しているから、塾全体の方針として、問題演習の量は多いと思う。
インプット学習に重点を置いた学習だと、下位層には有効だけど中位層以上は伸び悩むから。
なので、ウチの塾では塾生に解かせる問題レベルの設定には気を遣っているかな。問題レベルのミスマッチだけは避けないと、時間がムダになりかねないから。
そもそもたくさん問題を解いたというのは、人によって多いと少ないの感覚が違うから、抽象的議論にしかならない。
明らかに問題をこなす量が少ないのに、自己評価の高い者は「こんなに解いた」とか言って、結局は結果が伴ってこないのがほとんど。
ひとつ言えるのは、100問を1回しか解かないのと、30問を3回解く方が、明らかに成果は上がる。
ヘタに難問に手を出しても自爆するケースが多く、基礎的な問題を繰り返しできるまで解いて、本質的な理解ができた方が結果として表れやすいだろうな。
Q. 「あの先生は分かりにくい…」と先生にせいにしちゃんですよね…
A. まぁ、上手くいかなかったときというのは、人間の自己防衛本能が発動してるだろうから、他人のせいにしてしまうのは至ってフツーの心理状態とも言えるわな。
「先生の教え方が悪い」
「先生の授業はつまらない」
↓
「だから、自分の成績が悪いんだ!」
「だから、勉強できなくなったんだ!」
「H.W出してくれなかったから、オレは勉強しなくなったんだ!(爆笑)」
で、だから何よ?
先生が変わってくれればいいってか?
そもそも、他人が自分に都合の良い展開をもたらせてくれるとか本気で思い込んでる時点で、おまえ、人間失格だよ(多少言い過ぎとはいえど、それぐらい残念野郎ぶり極まりないぐらい自己中だわな)。
なんで、おまえ中心に地球が回ってるんだ?
笑わせるなよ。
世界の中心に自分がいないと気が済まないのか?どれだけチヤホヤ育てられてきた甘ちゃんすか?
ことわざに「過去と他人は変えられない、未来と自分は変えられる」というのがある。
先生を変えようとしてもムダだよ。だって他人なんだから。
変わるなら、自分が変わった方がよっぽど早い。
ほぼ100%と言い切っていいぐらい、できない理由=自分にあると思っていい。
他人への批判をくだらなく思えるようになったときこそ、本当のスタートラインかもな。おまえみたいなのは。
Q. 塾に通っていますが、成績が上がりません…
A. 成績を上げる前提条件として、規則正しい学習習慣であることが何よりも優先となる。
週2日とか週3日の塾の授業を受けているだけで、成績が上がるとでも思っていたのか?
そんなわけなかろうが。バカも休み休みに言え。
週6~7日、ほぼ毎日コンスタントに学習時間を確保することで、安定した学習量が確保できて、ようやく安定した成績を獲れるようになってくる。
何よりも家庭学習することが、成績を上げる上で大前提になっていることに気づけていないから、このような悲惨な状況に陥っていることに気づくべきだと思うが。
ウチの塾が週4~5日通い放題で、大半の塾生がほぼ毎日通えるようにしているのは、このような理由からだ。
週2~3日の授業だけで家庭学習が必至となると、どうしてもサボる者が出てくる。
自主性に任せるのは、やはり限界がある。
上位層はそれでも真面目に取り組むが、中下位層の塾生に対して自主性に任せると、自主性と自分本位の自分勝手を履き違えて、確実にサボる方向に向かっていく。
そうさせないために、塾ですべての学習を完遂させるための学習環境を用意することで、ほとんどの塾生が各自のやるべき学習量を全部こなして、テストや模試で結果を叩き出してきてくれる。
>【衝撃暴露!/塾のウラ話】個別指導塾に通って成績が「下がる」ワケとは?
結局は「塾に通えばどうにかなる」ではなくて「塾に通って、自分のチカラでどうにかする」という心構えになれるかどうか。
成績が上がらないのを塾のせいにしている時点で、自分自身のことしか見えない、視野の狭さ故に、全体を捉えるチカラが欠如している人間だということを、自分からPRしているに過ぎないのでは?…とオレは感じるが。
周囲に文句を言ってる時点で、自分で自分の価値を落としてることに気づけないと、周りから痛い目で見られるだけだぜ。
Q.定期テストの点は取れるのですが、模試になると全然取れません…
A. 定期テストというのは「日々の授業でやったことを理解しているか」というのに対して、模試は「受験の模擬試験」であるということを理解しているかどうかだと思うが。
定期テストは最悪一夜漬けでも平均点ぐらいは取れるかもしれないが、模試は普段の学習量と復習量がモノを言うし、そもそも受験で求められる能力というのは「初見の問題を解く」チカラだから、対策を立てて勉強しなければお手上げになるのは分かりきってる話だよ。
模試が定期テストで難しいというより、受験対策が不十分だから模試で取れないと考えを改めた方がスッキリするだろう。
メンタル的にも切り換えやすくなるし、良い流れがつくれるだろうから。
Q. 授業の復習してないんですよね…
A. エビングハウスの忘却曲線という、人が忘却するメカニズムを端的に表したグラフがある。かなり有名だ。
こんな感じ↑
図のように、復習をしないとたった1日で約70%は忘れてしまうことが判明している。
人間ってのは、忘れやすい生き物だ。なので、忘れることは罪ではない(おまえみたいな確信犯的に復習から逃げてる者には一切同情しないが)。
復習していない者に多いのは「とにかくやる!勉強する!頑張る!」と粋がってるケース。深く考えずに自分の勢いだけで勝手に勉強してる気になってるというか。
この手のタイプの人間は、見直したり、解き直したり、読み直したりすることを軽視してることがメチャメチャ多いな。
「勉強=前に突き進むだけの勉強」ではなく『勉強=勉強+復習』とするべき。
復習というのは、記憶のメンテナンスであることを理解している者が上位に行くよ。
Q. 授業中眠くて、どうしても寝てしまいます…どう対処したらいいですか?
A. まぁ授業中寝てたらフツーは授業してる教員からの心象も悪くなるから、内申点悪くなること覚悟で寝てる選択肢をとるのであれば、それはそれで自己責任だからいいんじゃないのか。
高校ではオレも授業中散々寝てたから、この件に関しては、あまり他人のことを言える立場にはないんだが、おかげで高校の通知表は散々な結果だったのは今でも覚えてる。
効果的なのは、授業の休み時間中に5分机に伏して爆睡することかな。
これだけで相当頭の中がスッキリする。
というか、脳が復活する。
逆に寝すぎると、脳は目覚めてこないので、授業が始まってもまたボーっとすることになって、授業内容は頭に入らないだろうな。
オレの場合は休み時間に寝てしまって5分では目が覚めず、知らぬ間に次の数学の授業になってたらしくて、数学の教員からハリセンボンで殴られて、クラスみんなの前で大恥かいて、ようやく目が覚めるという日常の光景だったような?
もちろん、寝すぎて頭が働かないのが副作用だったというか、ボーっとしたまま授業も終了して、結局テストも自爆。ついには赤点突入と、散々だった記憶しかない。
オレの失敗談は、ぜひ反面教師にしてくれ。
あとは、刺激の強い目薬を刺すのも、多少は効果的かな。
授業中寝ないためには、規則正しい生活習慣のもと、夜はしっかり睡眠時間をとることが必須。
睡眠時間の確保は、学習効率を上げるための必要条件であることを理解しておくこと。
Q. 不安でくじけそうになるときがあるのですが、どうしたらいいですか?
A. ここ最近、子どもの自己肯定感を高めさせるとか謳ってる教育方針がやたら多いんだけど、それって要はそれだけ自分自身に自信が持てない(自己肯定感の低い)若者が社会的に増加してることの裏返しだろう。
逆に、このご時世で、自分は最強無敵、天井天下唯我独尊だぜバカ野郎!と叫べるほど自信満々で生きれてる者がどのくらいいるんだろうな?(⇒ いや、大していないというか、絶滅危惧種になりつつあるか)
長い人生、生きてりゃ、そりゃ色々あるだろうよ。
ヘドが出るぐらい、ツラく苦しい局面もある。
禍福は糾える縄の如し…ということわざの通り、良いことも悪いことも立ち替わり入れ替わりやってくる中で、不安にならずにいつも絶好調の最強無敵でいられる輩がいたら、ぜひお目にかかりたいものだ。
マインドを切り替えるのなら、不安になるときというのは、大抵は勝算があるときだとオレは思ってる。
物事に真剣に向き合って取り組み、良いことも悪いことも全部理解できているからこそ、成功するかどうか分からないときは恐怖がつきまとう。
不安になるというのは、越える壁の大きさが理解できているということ。
勝算のない者は、越える壁の大きさがほとんど見えてないから。
感覚的にしか判断してなくて、物事の全体像が見えてないケースがほとんどだ。
自分の都合の良い展開になると信じて疑わない、不思議な人種というか。オレには到底理解し難いが。
成功した者というのは、そのほとんどが超える壁の大きさを理解して不安を覚えつつも、自身にできる最大限の準備を整えた上で、覚悟を決めて挑戦しているのだから。
Q. 自分よりできる人を見ると、落ち込んでしまいます…
A. 大して勉強しているように見えないのに、あっさり定期テストで学年上位を獲ってしまう者もいれば、大して走り込んでいないように見えて陸上大会で1位をとってしまう者もいるだろう、世の中には。
劣等感というのは悪いものではなくて、おまえ自身を今よりもさらに1段高いステージに押し上げてくれる原動力となるツールだと思えばいい。
悔しいとか落ち込むという感情は、次のステージに進むための原動力だからな。
例えば、ウチの塾だと中学生は年6回ある塾内テスト(千葉県統一テストなどの)の結果を上から下まで容赦なく全員貼り出す、最下位で0点だろうが容赦なく貼り出す。そこで最下位になった本人の反応を見てたりする。
大して勉強してなくて自業自得で最下位になってるにもかかわらず、人目を気にして最下位や下位の成績が恥ずかしくて「誰とも顔を合わせたくない」とかヌカした瞬間に、こいつはダメだなとオレは思うね。
どんな結果であれ、悔しかろうが恥ずかしかろうが現実を直視して、そこから「次見てろよ!コノ野郎っ!次こそは全員ブチかましてやるからなっ!」と
開き直って堂々としてる者は、間違いなく底辺から上がってくる。
しかも、かなりの高確率で。
劣等感に浸ってかわいそうな自分を演じている自分大好きのナルシストが、後に結果を出すケースは少ない。
むしろ、劣等感をバネにして開き直ってる者の方が、目の前の現実を全部受け入れた上で、前向きに精一杯闘おうとしてる姿が清々しいし、己の弱さを受け止められる度量を持っているのだから、どこかで火がつけば一気に大ブレイクする可能性が高い。
そして、自身の劣等感を経験してるが故に、人の心の痛みも気づける、なかなかの人格者に育っていく。こういう人間は、周囲からも社会からも評価が高くなる。
劣等感を劣等感のままで終わらせないために己を磨いていけば、自分の方ができるヤツになる日が来るさ。
Q. 失敗するのが恐いんです…
A. 現代の「失敗させないための教育」の典型的な犠牲者とでも言ったところか。
失敗することを極度に恐れる。ここまでの人生を期待されて、失敗しないように、親や、周囲のオトナや社会から失敗を認めない圧力を受け続けて、ここまで生きてきた感じだな。
少なくとも、失敗しないで生きてこれた者はほとんどいないし、いたとしてもすぐにボキッと心が折れて終了だ。
そういう人間は、壁を越えてきた経験も少なくて、お膳立てされて当たり前の人生だから、打たれ弱さは尋常じゃない。
面白いぐらい、簡単に潰れてくれる。
学業やスポーツ・芸術だけでなく仕事や人間関係・恋愛などすべてに言えるのは「失敗した数が多ければ多いほど、強い」ということ。
そしてアホみたいに失敗しまくってきた者は、人間的魅力も大抵兼ね備えている。
野球の試合、バッターボックスで三球三振や見逃し三振したりしなきゃ、実際に打席に立つのが練習といかに違う状況かなんて分からんだろ。
サッカーで練習通りのポゼッション通りに試合を勧めようとして、相手のチームがその通りに動いてくれる保証がどこにある?予期せぬカウンター仕掛けられてまさかのゴールを許して逆転負けしたなんて、いくらでも転がってる話だろう。
彼氏や彼女が歓ぶと思って、サプライズプレゼントを仕掛けたら想定外で相手を不快にさせたり、歓ぶどころか怒らせることなんて、いくらでもあるだろう。結果、予期せぬ別れがやって来たり…とか(爆)。
失敗というのは10年も経てば、単なる笑い話で終了だ。
親友や仲間たちと居酒屋で酒吞みながら笑い話にすれば、みんな盛り上がって楽しい時間にできてハッピーになるさ。
そもそも、子どもの頃などの生活環境なんて狭いんだし、知識も経験もない以上、失敗するなど当然の話。
成功するためにやってきたとしても、結果的に失敗などいくらでも転がってる話だし、そこを怯えているようでは、人生楽しく生きるチャンスを自分でどんどん潰して、ただ機会喪失を自分で招いて自爆してるだけだぜ。
失敗と成功は、紙一重でしかない。
失敗と成功は同じグループだと、オレは思うが。
一番ヤバいのは失敗することではなく「何もしない」ことだろ。
そっちの方が、何百倍もヤバいと思った方がいい。
何もしない者は、人生の楽しさを味わうことなく時間を浪費して、年老いていくだけだからな。
Q. 自分の限界を自分で決めてしまうんですよね、無意識のうちに…
A. 野球でいうところの「バットは振らなきゃ当たらない」っていう論理と同じだろ。
いつからかは知らないが、人間ってのは「できるかどうか」で物事を考えるようになってしまった。
できそうなことしかしない人生の何が楽しいんだ?成功への道筋を敷かれたレールの上を歩いてるだけの人生に、何の価値がある?たった1度きりの人生、無謀だろうと、己のやりたいことをやってみればいい。
その結果から得るモノがあるし、逆に得なかったら、おまえの経験値や学習能力は無いに等しい。
そもそも論だけど、人間に生まれてきただけで相当運が良いと思った方がいい。
次に生まれるときは、魚かもしれない。鳥かもしれない。ヘタな話、害虫とかすぐ淘汰されてしまう生物かもしれない。人間ほど生きている間に多くのやりたいことをできる存在なんて、他にない。
人間として生を受けた以上、さらに言うなら、発展途上国で日々生死の境をさまよう厳しい地域で生きているわけでない、比較的恵まれた日本人として生まれてこれた以上かなりの幸運を手にしているわけで、
限界なんてみみっちいこと言ってるヒマあるなら、最後まで諦めずもがいてみるのも贅沢な人生だと思うぜ。
Q. どうしてもネガティブになってしまいます…
A. 「どーせオレだけ…」「こんなに頑張っているのに…」「どーしてうまくいかないのか…」「社会がこんなだから自分はできないんだ…」などなど、アフォーなネガティブ発言をしている諸君、先に言っておこうか。
おまえら中心に、地球が回ってんじゃねーんだよっ!!!
目の前に起こることのすべては、絶妙なタイミングでやって来るんだよ。そこには気づいてほしいメッセージが込められているから、必ず意味とか学びがある。
ネガティブな生き方してる者は、ほとんど被害者ヅラする人間になっていくよ。
そうすると、目の前のことに感謝の気持ちがなくなっていく。感謝の気持ちがない者からは、時間の問題で、他人は離れていく。世の中の真理だよ。
見方を変えればいい。
人生っていうのは、良いことも悪いことも上手く作用しているものだと考えた方が納得できるだろ。
Q. 彼女(彼氏)が欲しいのに、なかなかできなくて焦っています…
A. というか、何故にこの質問をオレにしてくるのか、全くもって理解できないのだが…
ここは学業の悩みを聞いてアドバイスする場なんだけど…相談する相手どう考えても間違ってるだろ?
とりあえず、まぁいい。
敢えて私見ではあるが、答えてみよう。
そもそも、なんで彼氏や彼女がいなくて焦るんだ?
そんなに周りに自慢したいのか、自分はイケてる人間だと思い込みたいのか、リア充してる自分が大好きなのか、
中学高校の6年間でそこまでして恋人づくりを急ぎたいのは、明らかに周囲の目線を気にしているか、ハイステータスを充たすための自己顕示欲の維持という目的がほとんどのケースだと思われるが。
年頃なんで恋愛したい気持ちがあるのは理解できるんだが、そもそもムリして勢いで作り上げた恋愛関係など、長く持つことなく、比較的早い段階で崩壊する。
なぜなら「彼女がいる」「彼氏がいる」状態の形式だけの自分を作り上げることが目的だから、そんなのは恋愛ではなく、単なる恋愛ごっこでしかない。
彼女や彼氏が欲しいと力んで自分を良く見せようと躍起になっている姿も、ある意味では青春と言えるんだろうが、一歩間違えると、単なるイタいヤツにしか見えなくなる。
恋愛というのは、わざわざ自分のイメージを作り上げなくても、素のままの自然体な自分で過ごしていれば、そんな自然な姿に惹かれる異性が大半ではなかろうか。
俳優とか女優・アイドルとかだったら、演技で己自身のキャラクターづくりは必須だろうが、日常生活での恋愛でそんなことをしていたら、その都度、毎回毎回、彼女や彼氏に良く見られるようなキャラクターを演じなきゃならなくなるし、その状態を続けていると疲れてもたなくなって終了だ。
ムリしてモテるキャラクターを演じなくても、慌てて彼女や彼氏を作ろうとしなくても、いつも通り自然体で日々過ごしていれば、その姿や人間性に惹かれる異性が現れる可能性は十分にあり得る。
いずれ出会う異性に勝手な期待を抱くよりも、おまえ自身が魅力ある自然体でいる方が、出会える可能性が高いかもよ。
余裕を持って生きている人間に、相手は惹かれていくものだよ。
Q. メールやLINEの返信が遅いと、不安になるんです…
A. たぶん、その価値観のままでオトナになったら、束縛の強いヤツとレッテル貼られて嫌われ者になるな。
相手にもすぐに返せない事情が色々とあるんじゃないのか?そこまで想像力働かせるか、相手のことを思いやったらどうよ?
中学生・高校生ぐらいなら、こんなメールやLINEのやりとりで一喜一憂するのも分からなくはないが(それもまた青春と呼ぶのかもしれないが)、そこでいちいち気分の浮き沈み繰り返してるだけ、他にやるべきこと(学業や部活など)のパフォーマンスが著しく低下するだけで、良いことなんかひとつもない。
モノの見方の問題かもしれないけど、メールやLINE=相手のすべてではない。
たかがLINE、されどLINE……
スマホひとつに人生や日々の生き様を支配されないような生き方してみろよ。