ウチの塾でも、他塾さんより一足遅く夏期講習が始まりました。
塾生のほぼ全員、7月中に学校の夏休みのH.Wをすべて完遂させ、心を軽くして秋以降のテスト範囲の予習や、学年分の内容を夏休み中に完結させるために頑張ってくれています。
ある意味で当然と言えば当然かもしれませんが、夏期講習の受講申込の面談をされるお子さんのほぼ全員が、8月の中旬以降もしくは終盤まで夏休みのH.Wを片づけません。
理由は至って単純で「やりたくないから」です。
己の欲望に正直に生きていると言えばそれまでですし、逆に、そこに気づけている子や、そこから改善していこうというお子さんは、そんなに時間もかからずに伸びてきます。
伸びるお子さんというのは、不安であったとしても、それでも敢えて負荷をかける決断をしてきます。己の損得勘定ばかり考えて決断ができない子は、まず伸びることはありません。
今夏の夏期講習の受講面談では「夏休みのH.Wを7月中に終わらせるなんてできない!そんなのムリ!」と、できるできない以前に「やってみよう!」ともしなければ、己を少しずつでも変えていこうとしない子は、案の定、申込むために来たのに申込をせずにご退場されていきました。こうなると、お子さんがいつのタイミングで気づくかを願うだけです。
さて、今日はツイッター上で興味深い内容のツイートがありましたので、ご紹介します。なんか17.5万件のいいねがついていましたので、それなりに影響はあるのでしょう。
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怒らない人は声を荒げない代わりに割とカジュアルに見放すので、気をつけないとね。
怒る人は「言えば変わる」と期待してるから言うんだけど、怒らない人は「言っても変わらない」と期待してないから一切言わないよ。
むしろ「そのままで一生暮らせ」と思ってるよ。
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これ、村上のこと言ってるのかな?というくらい、私にドンピシャな内容でしたね。
この23年間で私も塾生に対する叱り方は相当変わりましたが、以前は激怒するという言葉が相応しいくらい、生徒に対してはかなり厳しく接していました。もちろん、生徒ひとりひとりに良くなってほしいと期待しているからです。
その根底には「言われているうちが華だ。言われなくなったら終わりだ」という相手への想いや愛情表現があったからで、今でもつながっているママになった教え子たちや、立派に社会の第一線で活躍している卒塾生たちは私のそういった想いを理解してくれているようです。
なので、ランチでは「村上さん、いつからそんなに丸くなっちゃったの?今の子たちってすごく大甘だから、ウチらのときみたいに厳しくすればいいのに!」
とは、やはりその都度、言われてしまいます(笑)。
おもしろいのは、現塾生からも「塾長は怖い」「塾長は鬼だ」「変なことしたら塾長に挽き肉にされる(笑)」と現在進行形で言われているわけですが、そんなのはかつての教え子たちから言わせれば「は?大甘にも限度があるだろ!」と言わんばかりの「村上さん、甘すぎる!」と私自身が突き上げを食らっている点でしょうか。
そう考えると、私も随分と丸くなったんだなと、歳を実感(苦笑)。
ですが、やはり言うべき局面では、かなり厳しく出ます。
そこは一切生徒を叱ることのない他塾さんとは決定的に違う点でしょうか。
私は、塾生を「見放す」以上に「見捨てる」ようなことはしたくないので。
ですが、AQURASを開塾して9年間、私も叱り方は大きく変化し、以前のように激しく塾生にはぶつからなくなりました。もちろん、体力も気力も落ちてきたのはさておき(笑)。
塾生を良くしたいと思って苦言を呈しているのに、それがお子さんに伝わらなくなったことが増えたためです。それに比例して、お母さん方からの抗議が比例して増えていくのも(笑)。
明らかにお子さんに非があるとみんな分かっているケースでも、塾生自身が一切非を認めない、しかも親御さんが「子どもの名誉が傷つけられた!あなたを告訴します!」とか、
電話口に「おたくの塾、潰してやるから!(録音とっときゃよかった…笑)」と言って、アポもなく突然乗り込んできたり、
わが子をいさめるどころか逆上してしまって、他のお母さん方も焚きつけて、集団で一斉退塾に持ち込んできたりなど、
正直、疲れさせられる案件がこの9年間であったのも一因です。
お子さんを良くしたいという真意を受け取ってもらえることなく、わが子が攻撃されたと一方的に思い込まれて猛反撃されてくるケースは、塾生の成長のためには嫌われ役を買ってでも向き合うという現場主義者のパワーもどんどん削がれていきます。
こういった子に共通しているのは、うわべだけの「誉めて伸ばす」で育ってきている点です。
自分さえよければ他者に迷惑をかけるのも自堕落になるのもお構いなし、それていて注意されるとすぐに潰れてしまい、今度はパパママ助けて~になる。困難を乗り越えさせる前に、親御さんがレールを敷いてしまうため、自分で考えて行動できなくなるんでしょう。
そして、それ以上に、お母さん方が「自身の子育て」が間違っていないかを最近は気にされる傾向もあると思います。
もちろん、子育てにおいて成功体験も失敗体験もつきものです。
ところが、余裕がなかったり自信が持てなかったりするお母さんだと、何か指摘されるとアドバイスとは受け取らずに、自分が攻撃されたと思い込んで、抗戦されてくるわけで…。
そういったお母さん方の相手をするのに参ってしまい、塾を廃業された実力派の先生方を私は知っています。純粋に子どもの成長に向き合いたいだけなのに…私は、そこまでではありませんが。
なので、先ほどのツイッターで挙げた通り
「怒らない人は声を荒げない代わりに割とカジュアルに見放すので、気をつけないとね」
「怒る人は“言えば変わる”と期待してるから言うんだけど、怒らない人は“言っても変わらない”と期待してないから一切言わないよ」
「むしろ“そのままで一生暮らせ”と思ってるよ」
など、もはや深く関わることのない、距離の遠い対応でしか相手をしなくなるわけです。
でないと、自分が疲れてしまい、壊れてしまうから。
私はそれでもまだ「物申す」側だと自覚していますが、少しやり方は変えています。
それは塾生自身に「気づかせる」というやり方であり、そのためのマインドセットや自己管理能力の育成に切り替えました。子ども自身の主体性を最大限尊重しながらも、お子さん自身の意志で負荷をかけさせて壁を乗り越えさせる手法です。
ですので、このやり方で進む先には、あちこちで私が講演している「叱らない子育て」の内容にもつながってきます。
私も指導現場で実践していますが、以前より言わなくなった分、自発的に動ける子は増えてきたなと感じています。一定以上の効果は上がっていると確信していますし、今後も「見守る」指導で「見放す」「見捨てる」路線にはならない指導を貫いていきます。
ただ、このやり方を採ると、やはり勘違いを起こす子が一定数いるのも確かです。
何も言われないから、何もしなくていいんだ。自由だ!
自由だから勉強しなくてもいいんだ!ゲームだけの生活がいい!
などなど、お子さんのエゴが剥き出しになる子も少なからず出るわけで、こうなってしまうと、その状態を気づかせて改善できる子は相当限られてきます。
恐らくは、日常生活や人間関係において、相当な痛い思いをしない限り気づけないでしょう。それが遅くなればなるほど、受験も失敗する可能性が上がるだけのことですが。
先ほどのツイッターの話でいくなら、こういった子にも深く指導者は今後深く関わることはないという流れになります。
そういった子に関わって、言い方の問題はあれどアドバイスや改善点を指摘して、それが逆ギレされて親御さんが乗り込んでくる…なんてシナリオは、教育に携わる人ならまっぴらゴメンでしょうから。
そういった子に対しては、何も言わずに「見放す」し、「見捨てる」だけのこと。
ところが、見放される側は「何も言われなくなった!」とさらに歓びの勘違いを起こして、ますますイタイ人になってしまうわけで、そういった人材に社会がしてしまうのは一体どうなのだろうか?と私は考えてしまうこともあります。
何も言われなくなるというのは、本当は残酷なことであると伝えたい。
でも、そこで自身が攻撃されるのを恐れて、何も言わずに見放して見捨てていく…これからの教育は、ますますこういった流れになるでしょうね。
そう考えると、私はまだ考え方が古いのか、石頭のせいなのか、やはり厳しく言う側の立場でいたいと思うんですよね。言わなくなる方が、よほど残酷だと思うので。ただ、やり方は時代の流れで変えていくとは思いますが。
そのおかげなのか、ウチの塾は不真面目な塾生が誰もいないのが救いですね(笑)。
みんな真面目になっていくし、己を変えようと真剣に向き合わざるを得ない学習環境にしていますから。
自立学習型の個別指導塾ではありますが、各中学校に学年1位をはじめとした一ケタ順位を何人も輩出できるようになったのは、お子さんの「自由」と「負荷」のバランスを上手くコントロールさせられているからかもしれません。今後も改良を重ねます。
そして、村上も叱り方の効果をさらに試していきながら、塾生ひとりひとりの「気づき」を誘発する指導に邁進したいものです。まだまだ道半ばですが(苦笑)。