西船橋・稲毛駅前ともに、指導のシステムを一気に?段階的に?アップグレードさせたため、教場内が相当変わりました。
PRECIOUSもたくさんのお問い合わせを頂戴し、明日から当塾は新学年新学期を迎えます。
村上は3教場すべてを見回り、いつでも飛んでいける体制を敷きました。
3教場で取り付けたネットワーク管理カメラは9台、しかもカメラにはスピーカーがついており、村上が地球の裏側にいたとしても、教場内を常にチェックし、態度の悪い者にはスマホに向かって怒号を飛ばせば、3教場すべてのスピーカーより村上の声があちこち響き渡るという、塾生にとっては緊張感を持たざる得ない?村上への更なる恐怖もお得なバリューセットでついてくる塾内環境が整います。
お子さんの家庭学習はもちろん必要ですが、それ以上に、生活習慣の確立・日々の学習習慣の継続という点で、学び放題コースである程度カバーしていけることになります。塾生の目標達成に向けて、しっかり精度を上げていきたいところです。
さて、今日は村上が書いているので、他の話題でも。。。
人間関係の悩みというのは、まず尽きることがありません。
あらゆる問題の根底には、人間関係の悩みが介在しています。
お子さんの成績の問題、夫婦関係、仕事や健康面含めた事案にしても、他人と比較した自分を認識するが故に悩んでしまうものではないかと。
世の中には、人間関係を豊かにするためのコミュニケーションの本が大量に出版されています。
それぞれの手法に特徴があって勉強なりますが、特に真面目な方に関しては様々な手法を学んで実践されようとしています。
それ自体は評価されるところではあるのですが、現実には怒っている問題が解決できるとは限りません。
本で記載されている成功事例には、様々な前提要因が存在しており、すべてのケースにおいて妥当するモノなど、まずないと思われます。
ですので「学んだのに意味がない」と嘆く必要もないと思いますし、その他の方法に果敢に挑んでいくのが賢明ではないかと思うところです。
人間関係で悩む人というのは、多くは気が優しくて真面目な人という感じでしょうか。とにかく、あらゆる人に好かれようと常に「みんな」を探し求めているというか。
もっと正確に言うなら、誰かに嫌われることを恐れている印象を受けます。
「誰か」というのは、特定されていない抽象的な「みんな」です。
「みんな」には具体的な顔がありません。「みんな」を恐れるのは、墓地から出てくる霊を恐れると同じことで、身動きできずに終わります。終わりがないですよね。
大切なのは「みんなから好かれること」を諦めることです。
人には、それぞれの価値観や性格・基準といった個性があります。
あなたと相手が、どうむりやり似せて寄せたところで、まったく同じになることなどありません。
あなたが良かれと思ってやった行為が、相手にとって疎ましく感じられることなど珍しくもないですし。
「なぜ私の全員をコイツは分からないんだ?」と感じた時点で、もはや善意の押し売りに過ぎません。「分かってくれないヤツもいる」と諦めた方が精神衛生上良かったりもします。
ゲーテの言葉に「人間の最大の罪は、不機嫌である」というのがあります。
私たちにできることというのは、できるだけ機嫌を良くしておくことぐらいです。周囲から誤解されても、できる範囲でいつもの機嫌を保っておくことが最も有効な手立てではないでしょうか。
「みんな」という魔力に固執するのではなく、目の前のひとりを大切にする…そんな生き方をしていけば、心はより開放されていくのだと、私は確信しています。
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