偏差値や学歴ではない!自分自身の価値に向き合う教育のススメ。

 

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今日もYahoo!ニュースに興味深い記事があったので、ここでご紹介します。
いつも私が申し上げていることに、結構かぶりますね(笑)

「そもそも教育が目指すものとは何か?」というのを、教育コンサルタントの木下晴弘がまとめて下さっています。

お子さんへのスタンスや親御さんの立ち位置を振り返ったりするのに、役に立つ内容だと思います。ぜひご一読下さい。

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教育の究極的な目的は幸福になること

「そもそも教育とは何のためにするのか」と考えてみたことはありますか。

よく出てくる答えに「将来、子どもが安定した生活を送るため」というものがあり、それも1つの考え方だと思っています。ただもう少し広い範囲までを含めて一言で言い表すとしたら、「幸せになるため」ではないでしょうか。人生が貧しく細っていくのを実現するために教育をしようなんて、誰も思っていないはずです。だからこそ人生を豊かに幸せにするために教育はあるものだと私は考えます。

幸せは自分の利益を追うことで達成する部分もありますが、実は幸せは分かち合うことができるものでもあり、分かち合うことでもっと幸せな人生を送ることができるのです。ここの部分の奥深さがよくわからないまま育ってしまうと、極端な話ですが、一流大学で身につけた高い能力で毒ガスをつくって、他人に危害を与えてしまうという人生を送ることもあるのです。だから教育によって身につけた知識やスキルをどう使うかが大事なのです。

知識やスキルを「包丁」と置き換えて考えてみると、もっとわかりやすいかもしれません。包丁は食材を切っておいしい料理をつくり人を幸せにでき、とても便利なものです。でも人を刺すこともできる道具でもあるのです。だから知識やスキルは教えると同時に、その使い方も教えなくてはなりません。

では、「包丁」の使い方といった知識やスキルをどこで教えるかなのですが、小学校以降は子どもがいちばん長く過ごすのは学校ですから、学校で教えるのが効率的だと思われます。つまり学校は知識やスキルを勉強というかたちで子どもたちに伝える場所なのですが、他人の幸せのために使うことが自分の幸せにつながるということを徹底的に教える場であってほしいと願っています。

(中略)

子どもに伝えたい!自分という存在の価値

さきほど他人を幸せにすることが自分の幸せにつながるという話をしました。ところが、ここがポイントなのですが、人間は自分にないものは与えられないものなのです。人に幸せを与えられるのは自分が幸福感を持っている人間だけです。

その幸福感を支えているのが、私の考えでは自信です。自信とは他人よりも自分が秀でていることだとほとんどの方が思っています。もちろん定義はいろいろあってよいのですが、幸福感につながる自信とは「自分は自分でいい」と思えることです。もし他人より秀でていることを自信だと定義すると、自分より優れた人が出てきたとき、それは簡単に打ち砕かれてしまいます。でも「自分は自分でいいんだ」と思えている人間の自信は他人には打ち砕けません。「自分は自分でいい」と思える心、この気持ちを本人に与えられるのは親しかないし、家庭教育の根幹はそこにあると思うのです。

大事なのは、幼少のころから「あなたはあなたでいいんだよ」「あなたの存在そのものを愛しているよ」と伝え続けることです。「ハイハイができた」、「テストでよい点をとった」からほめるのではなく、お子さんのありのままを愛しているというメッセージを小さいころから伝えることは、家庭でしかできないと私は思います。これを「存在承認」と言います。保護者の方がお子さんに求めることはそれぞれのご家庭で違うと思います。どれがよい、わるいということはありません。ただし優先すべきは「存在承認」です。

ちなみに、わが家では親からは中学受験もとくにすすめませんでしたが、長男は小学校5年生のときに「パパ、中学校に私立と公立ってあるの?」「大学まで行こうと思ったらどっちが有利?」と聞いてきました。そこで、公教育と私教育の違いをさかのぼって江戸時代から説明しました。そうしたら自分で塾も志望校も選んで、私立中学校に進学していきました。進学に関して親はサポートしただけです。

逆に「存在承認」を与えられずに、学校という場で行動承認と成果承認の考え方だけを学んでしまうと、自分が承認されるためにはよい行動やよい成績をとる必要があるという考え方に陥ることがあります。仮によい成績をとらなければ愛されないと思ったお子さんはがんばって勉強します。すると成果が「出る」「出ない」に分かれます。成果が出なければ、自信を失ってしまうこともありますし、カンニングをする子が出てくることもあるのです。成果が出たとしても、「僕は勉強ができるから愛されるに値する人間だ。勉強ができないやつは愛されるに値しない」と考える子が現れます。最後には「あんな偏差値の低いやつと仕事なんてできない」というふうに、歪んだ優越感を抱えた大人になる場合さえあります。症状が進むと成績によって愛されることを断念する子も出てきます。そういうお子さんは保護者の方の関心を勉強以外で引かざるを得ません。そうすると引きこもりになったり、友だちをいじめたりといった問題行動が表出してしまうこともあるのです。お子さんの言動にはすべて理由があるのです。

自然にムダなものはありません。人間は間違いなく自然の一部です。ということは人間にもムダな人間など1人もいないということです。ムダな人間がいないということは、1人ひとりに生まれてきた役割があるということです。「人は生まれてきた以上、必ず何かの役割がある」、まずそのことに絶対的な自信が持てることが大切です。「人間って足らない部分を助け合って生きていく生き物」です。そしてかつての時代を駆け抜けた幸せな成功者たちは、1人の例外もなく、まわりの多くの人から助けられた人たちなのです。保護者のみなさんは「あいつだったら助けてやろう」と思われるようなお子さんに育ててあげてください。まわりに助けてもらえるかどうかが子育ての成功のすべてと言っても過言ではないと、私は確信しています。

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個人的に思うところですが、大学に来ている学生は学術研究が主な目的でなく、就職が大前提にあります。そのため、大学で研究や学生に指導する立場からしてみれば、何のための進学なのかなとは思います。

根本的な問題には資本主義社会、自由経済主義があり、その基に財界や政治的しがらみがあり、日本においては経団連が組織して学生に圧力をかけてきます。そのため、大学側としても、新卒採用率の数値化を具体化させるために学生に対してより一層圧力をかけざるを得ないでしょう。

今日では、義務教育課程から私立や学習塾の教育産業もどんどん参入し、教育のあり方が問われつつあり、価値観が歪曲しつつあります。そしてこれらは、大学における日本の学術研究の質的問題にもつながってくるでしょう。

こうなると価値観の問題にも絡んでくるんでしょうね。

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