村上です。
今年の中3生の打ち上げ、消毒関係を徹底し、密にならない個別焼肉でやったときの写真をアップするのを割れて、今になって渋々アップしております…(爆)
はてはて、昔はほぼ毎日更新していたブログも、今は体力も時間も追いつかず、困ったモノだなと思いつつ、
最近ではまともにスタバで本を読む時間も取れない状況で、今春からの塾内システム大改革の作業に未だに東奔西走しているわけですが、今日は昔に読んだ本を少し回顧してみようかなと。
小学校高学年のときに読んだヘルマン・ヘッセの『車輪の下』という一冊が、特に印象に残っています。小学生向けに書かれた内容のため、ある程度読みやすかったものの、読み終えて釈然としない心境になったというか。。。
本のストーリーは、天才と嘱望されて進学した少年が、自我に目覚めつつも、社会の圧力に屈するか否かで悩んでしまうというもの。小学生だった私にとっても「世の中は自分の思い通りにいかない現実がある」と悟らされたものです。
ヘルマン・ヘッセは、表現やストーリーの展開が美しいというか、読む側に考えることや現実を目にすることを求めてきます。彼の膨大な作品の中でも、特に印象深い一文があって「真実は体験するもので、教えるものではない」というのがありました。
ネット社会では膨大な情報が玉石混合の状態で流れており、これまでの時代のような一個人がこれだけの膨大な量の情報に触れることなど無かったはずです。
しかし、それは別の真実も意味していて、情報の取捨選択が容易になったということは、同時に真実でもない情報も大量に流れてくることでもあり得るのです。
フェイクニュースという言葉に代表されるように、事実に反するものがあたかも真実のように流されて、情報の受け手の判断を狂わせる危険性が以前とは比較にならない程、増大。
メディアリテラシーという言葉以前に、ひとりひとりが情報の真偽における判断力を一層求められる時代になってしまった感があります。私たちは間違った情報をもとに間違った判断をして、自分自身や周囲に被害を与えることになりかねません。
人間というのは、とかく「他の人の知らない真実を自分だけは知っていると」と優越感に浸る傾向があります。いかにも「真実を知っているのは、自分だけだ!」とご高説を語るような人みたいに、高揚感を求めるケースも多いと思われます。そこからのフェイクニュースという言葉が独り歩きを始めてしまうわけですが。
このようなケースの多くに言えることですが、物事における真実など、意外と凡庸なモノが多いですね。
だからこそ、そのような自慢できないネタを「誰もがまだ知らない刺激的な真実」に自作・加工してしまい、それに騙される人も少なからず出てきてしまう。情報を出す側のエゴというか、モラルの低下が大きいですね。
ある事実が真実であるかどうかなど、自分自身で経験しなければ分かりません。
いくら周囲から具体的な話をされても、そんなのは所詮、他人からのフィルターがかった情報でしかないのですから。
経験したからこそ、自分の中での真実が生まれるわけです。
そこに勝る体得の方法など、この先の時代も出てくることはないでしょうし。
経験などしなくても、今後ますます、あらゆる情報を手に入れることができる時代になってくると思いますし、だからこそ尚更、自分自身が経験することの重要性を自覚していく局面に差し掛かっているのだと確信する日々ですね。
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