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さて、今日のブログですが、私が尊敬する映像制作の会社:日本メディア教育の大塚社長のfacebookへの投稿を、そのまま転載して使わせてもらいます。
私もこの仕事は18年になりますが、その私から見ても「この人、次元が違いすぎて凄まじいわー」と思えるキレ者社長がfacebookで堂々と吠えていらっしゃったので、これは私のブログを読んでくれる読者の皆様にも有益だと思い、そのままパクらせてもらいます(もちろん、大塚社長には快くO.Kをもらいました)。
個人の分析・私見もあるとはいえ、大塚社長の指摘は本当に鋭いです。
きっと、あなたの子育てにも、役に立つはずです。ぜひご一読下さい。
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●【「勉強ができる」以上に大切なもの】
「勉強の出来る」子は、将来、高等教育を受けるチャンスが増えるだろうから、社会的に成功する確率が高まると考えられる。
しかしながら、「勉強の出来る」子が、みな社会的に成功するとは限らない。それどころか「勉強の出来ない」子が成功している事例も少なくはない。
と言うことは、「勉強の出来る」こと以上に子どもの将来を左右するものがある、と理解できる。
それは何か。
おそらく、幼い時に受けた躾であろう。
IQ(Intelligence Quotient =知能指数)が高いだけではビジネスで成功できないことから、近年、 EQ(emotional quotient=感情指数・心の知能指数)の重要性が説かれているが、躾とはまさに、このEQの土台をなすものではないだろうか。
2012年、興味深い調査が行われた。それは「幼少期に受けた躾と、成人してからの年収」に関するものだ。 (NTTコムオンライン・マーケティング・ソリューション株式会社・Goo Research)
もちろん私は、収入の高低だけで、人生の成否をいたずらに論ずるべきではないと考えているが、一方で「収入」は、その人の技能・リーダーシップ・順法精神等々に対する社会的評価でもあるから、躾との有意的な関係を知る上で、重要な要素となり得るはずだ。
●【「それぞれの躾」の有無によって異なる年収】
図1でわかるように、
子どもの頃「うそをついてはいけない」という躾を受けた人(はい)は、受けなかった人(いいえ)よりも、平均年収で49.7万円高くなっている。
同様に、「他人に親切にする」では29.2万円、「ルールを守る」では21.8万円高い。
「勉強をする」という躾は、社会的成功には重要だと思われるが、この躾の有無による平均年収差は15.3万円で、意外に小さい。
つまり、「うそをついてはいけない」「他人に親切にする」「ルールを守る」という躾の方が、平均すれば、「勉強をする」という躾よりも、子どもの将来への影響が大きいことがわかる。
これは、至極当然だろう。
子どもが将来、サラリーマンになろうが、親の家業を継ごうが、平気で「うそをつく」ようでは、信用されるはずがないから、成功には至らないのだ。
また「ルールを守れ」ない大人になったら、これも大変だ。彼は早晩、会社をクビになるか、業界から相手にされなくなるのが関の山だ。下手をすると、逮捕され裁判にかけられる可能性すらある。
逆に、どうだろう。「他人に親切にする」大人になったら、彼はきっと「返報性の法則」によって、多くの仕事を回してもらえるだろうし、たとえ家業が傾いた時であっても、多くの友人が助けてくれるに違いない。
●【「4つの躾」の有無によって、大きく異なる年収】
図2は、図1の躾の中から、「うそをついてはいけない」「他人に親切にする」「ルールを守る」「勉強をする」の4つを選んで、「4つの躾を受けた者」と「少なくとも1つは受けていない者」(つまり、4つの躾の内、1つから3つは受けている者)の年収を比較したものだ。
何と、両者には64.2万円の年収差があった。
さらに図3は、上記の「4つの躾を全て受けた者」と「1つも受けていない者」との比較だ。
驚くことに、86.2万円もの年収差があるではないか。
このことから何がわかるだろうか。
子どもへの躾は、1つの躾にこだわるよりも複数の躾を同時にした方が、子どもの将来に大きく役立つ、ということがわかる。
親という者は、自分の経験を引きずっているから、子どもに対して「自分が良かれと信じる」躾だけを与えがちだ。
若い頃、学校の「ルールを守らず」退学になり、不良グループに入って警察のお世話になってしまった親がいたとしよう。彼がそのことを心から後悔しているならば、自分の子どもには「ルールだけはきちんと守れ」と躾けるだろう。
同様に、うそをついて仕事をクビになった人や、勉強の大切さがわからずに遊んでばかりいた人は、それぞれ、他の躾はさておき「うそだけはついてはいけない」、「勉強だけはちゃんとやれ」と、口を酸っぱくして注意をするだろう。
しかしながら、図3が示している結論は、「1つの躾だけを繰り返すよりも、バランスよく複数の躾をした方が、子どもの将来に役立つ」ということだ。
●【躾の有無による年収差は、歳をとるほど大きくなる】
図4は、「4つの躾の内、いくつを受けたか」と「年収の差」を世代ごとに表している。
青は「4つの躾を全て受けていない者」(1つも受けていない者)、
赤は「4つの躾の内、1つから3つは受けている者」
緑は「4つの躾を全て受けている者」だ。
所得の平均が、30代→40代→50代と徐々に高くなるのは当然だが、どの年代においても、青→赤→緑の順は不動だ。
つまり、「幼いときに受けた躾」は、その人の生涯にわたって影響を及ぼしていることがわかる。
さらに、この図で興味深いのは、
「4つの躾の有無による所得の差は、30代より40代、40代より50代と、拡大し続けている」ということだ。
30代の青と緑の年収差(「4つの躾を全て受けていない者」と「全て受けている者」の年収差)は、75万円だが、
40代は、少し広がって、77万円、
50代になると、さらに広がって、その差は何と、151万円にもなっている。
なるほど、50代や60代にもなれば、社内であれ業界団体であれ、重要な役職に就く人が増えてくるが、どんな人がその地位に抜擢されるのかと想像すれば、それは当然「うそをつかず」「人に親切で」「ルールを守り」「常に勉強を怠らない」人に違いない。
「うそつきで」「人に不親切で」「ルールを守らず」「勉強もしない」人が、この高収入の地位にありつく可能性は、極めて低いと言わざるを得ない。
「三つ子の魂百まで」とはよく言ったものだ。
●【「4つの躾」以外の躾に対する私の見解】
ここでは割愛させて頂く。
●【「躾」は「国字」である】
「しつけ」という語は、元来仏教の「習気(じっけ・じゅっけ)」に由来し、やがて「しつけ」に変化したようだ。
しかし、仏教説話に出てくる「習気」は、「人物や物に残る習慣や雰囲気」の意味で、勃興する武士社会が求めていた意味、つまり「子どもへの規律や礼儀作法を教えること」とは若干異なっていた。
そこで、当時の日本人は「身を美しくする」「身を美しく整えることを通して、心をも美しく整える」との意味を込めて、「躾」の国字をつくった。
語源はともかく、この躾の発音は、「裁縫での仮縫い」を表す「仕付け」と同じだ。それゆえ昔から、「躾」は「仕付け」に例えられることが多かった。
「仕付け」は、服を正しい形に仕上げるための仮縫いだから、子どもを健全に成長させるための「躾」に似ている。
服が完成した途端、仮縫いの糸は抜かれてしまうだろう。つまり「仕付け」はいらなくなるのだ。
服はもはや自由だ。自由に動くことが出来る。しかしそれでいて、決して寸法が歪むことはない。
それはなぜか。初めに仮縫いの「仕付け」があったからだ。
だから、仮縫いの糸が見えなくなったとしても、服が歪まないのは、その糸がずっと影響を及ぼしているからだと言えるだろう。
ここに「躾」の本質があるのではないか。
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長い文章でしたが、それに見合う読み応えのある内容だったのではないでしょうか。
私は今日と明日、スタッフたちと九州・長崎に行ってきます。
明日から数日間は、長崎訪問記のブログになりますので、ご容赦を(笑)