ウチの塾は12日~15日までの4日間はお盆休みとして休校としています。
とはいえ、やる気のある中3生はその期間でも工房のカギ開けを自分でしてまで自習しに来るので、見上げた根性だなと思いながら…。
「なんだこの塾は、4日も休校にしやがって!やる気あんのか!?」
とツッコまれてしまう前に申し上げておくと、ウチの塾は5月のG.Wと言えど一切休校にせず通常授業をやっていますし、年末年始も休みは元旦だけで、ひどい年になると、大晦日の夜から除夜の鐘特訓を設けて朝までぶっ通して授業しているので、原則として日曜休校以外でウチの塾が2日以上連続で休校となるケースは、かなり稀です。
なので、年間通して、お盆休みが村上にとって最も長い休暇でもあり、それでも仕事しろ!とクレームを入れられても、申し訳ないですがそこは譲るつもりはありませんのでご容赦下さい。
にしても、明日から夏期講習の後半戦なわけですが、ここからは来月中旬の学校の期末テストを意識しながら、いかに学習効率における生産性を自己管理にて上げていくかを塾生ひとりひとりが考える時期に入ってきます。
しかし、生産性を追求して日々の生活を送るのはオトナの宿命なわけですが、お子さん同様にやはり息抜きする時間も大切だと私は考えます。でないと、神経張り詰めて暴発しちゃいますから…。
なので、今日は生産性を放棄したオトナの時間を私なりに見解を書いてみようかと。
「自由」とか聞くと、甘美なイメージを持たれる親御さんも多いのではないでしょうか。
ですが、この「自由」というのは、課せられた責任をやり遂げたからこその感覚であるというのを忘れてはなりません。
「どういうことじゃけぇ?(広島風)」
仮に、誰からも相手にされない。何もすることもないとした場合、
じっと病院のベッドに寝てるしかない患者だとしたら、自由であっても、苦痛なだけですよね。
他にも、仕事だと、会社が倒産したり、解雇されたりして、何もやることがなくなったら?奥さんもお子さんもいないので、誰かに気を遣う必要なんか場合とかは?
雇用保険もあるし、多少の蓄えがあるから、当面、食うにも困らない場合とか。
そんな苦境でありながら、そこで「自由」だとしたら、どう感じるでしょうか?
そうです。
たとえ、自由な時間を手にしたとしても、何に基づいているのかで、受け取り方は全然違ってくるわけです。
自由な時間を手にしてワクワクするとしたら、それは与えられた責任を果たした開放に基づくものだということ。
そこで、そういったワクワク感を安易に得るために陥りやすいのは、あれこれ予定を入れまくって忙しくしてしまうことでしょうか。
映画の予定を入れたり、IKEAで買い物の予定を入れたり、ママ友とのランチ会を入れたり、友だちとカラオケの予約を入れたり…などなど、忙しくした方が有意義に過ごせるのでは?という考えも分からなくはありません。
私も塾業界というブラックすぎる業界で長年サビ残してきましたし、過去最高記録が私の周りで未だに破られていない47日間連続出勤 (しかも40℃の高熱で10時間も教壇に立って授業してた日が何日もw)も達成するなど、それまで「休む」という行動に無頓着だった私も、今は休暇を大切に過ごすようにしています。
そんな私から見た “本物” の「自由」というのは、そのときの気分で、誰に遠慮することもなく、何でもできて、どこにでも行けることだと考えるようになりました。
敢えて約束も入れないし、予約もしない、何も準備しないで家を出て、何も考えずに街中をブラブラしてみたり、海岸線をドライブしてみたり、本能の赴くままに生きてみる。
過去一番ぶっ飛んだことしたのは、仕事の休憩時間が6時間あったので(休憩にしては長いですねw)、名古屋めしのあんかけスパゲティが食べたくなって、そのまま東京駅に出てのぞみに乗って名古屋まで行ってしまい、好物のあんかけスパを30分で一気に3皿完食して、そのままのぞみに飛び乗って職場に戻ってきて、後は平然と授業していました。
もちろん、今はそんなことする気力もないですが(笑)
でも、そういった本物の自由を満喫することが、明日への活力を生み出し、闘うべきときの生産性を高めるための原動力になっていくんですよね。
人間というのは、予定調和ではなく、思いもしなかったことに感動する動物ですから。
敢えて生産性を上げなくて良い日を設けることは、オトナのたしなみだと思います。
敢えて、何も決めない一日を作ってみる。
そういった1日は長くて素敵だと思うのは、きっと私だけでもないと思います。
読者の皆さんも、良い休日をお過ごし下さい。