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奨学金が返済できないから給付とかどうのこうの話が最近は絶えない。
給付というのは、世論の声に国が同調した形になったからだろうか。
このご時世、収入も不安定だからやむを得ずという考え方なんだろうか。
新聞奨学生という、新聞配達と集金業務しながら、限りなく少ない睡眠と人生の犠牲の代わりに、学校の学費や予備校の授業料を新聞屋に払ってもらえる制度で、私は予備校に通え、運よく大学に入り直せた。その代わり1日2H睡眠と休日なしの生活だったから、体はボロボロになったけれど。
でも、最近では新聞奨学生の話など全然聞かない。マスコミも報道しない。
制度はまだあるんだけど。
マスコミで報道されるのは、ブラックバイトやバイト掛け持ちで破綻していく話ばかり。そして、それでは学生として本末転倒だから、奨学金を返済しなくていい給付にしろとかいうPRばかり。
確かに給付の方が、学ぶ機会を得やすいだろう。だけどそれは、困ったら最後は国が何とかしてくれるという依存という名の甘えであり、自分で何かを成し遂げるという自立した人間の育成放棄とも見えてしまう。
別に、私自身を正当化するつもりもない。
時代が違うし、私はそれしか選択肢がなかったからやるしかなかった。おかげで中退した大学の奨学金も全部自分で完済し、入り直した大学の学費もすべて自分の稼ぎで払いきった。親に一銭も出してもらってない。
私にとって、大学に行くというのは、それぐらい覚悟のいることだった。
だから、親から学費を出してもらえるのは素晴らしいことだし、本当に良い時代になったんだなぁとうれしく思う。
もちろん、綺麗事ではいかないことも多々ある。
最近のブラックバイトやバイト掛け持ち破綻は、世の中を投影してるわけで。
それでも、大学で勉強すると決めたのであれば、それだけの覚悟を持って臨むべき…そう思ってた。
本当ににっちもさっちもいかない方はいるだろう。
だが、頑張ればどうにかなりそうな人まで給付にしろとか言ってるんだから、私にはお門違いにしか聞こえない。
ブラックバイトというのも、真に「ブラック」なバイトがある反面、自分に都合のいい展開に持ち込むために、「意図的にブラック化」させたものがあるのもまた事実。後者をきちんと見抜き、それは断罪されるべきではないか。
確かに就職問題が影響するから、大学進学は叶えた方がいいのかもしれない。
でも、本気で勉強したいわけじゃないのに大学に進学し、授業料が払えないから給付にしろとか言ってる輩を理解することは不可能。
だったら、就職して働いた方が、生きていくあらゆる面で、よほど多くを得ることができるというのが、数多く子どもを見てきて思うところ。
バイト掛け持ちで生活が破綻するとか言うなら、新聞奨学生やればいいのに。
その話をしたことがあるけど、「そんなキツくてツラい思いしたくない」とか言い出す。
ほんとに学費払えないなら、仕事選んでる場合じゃないだろ?
そんな甘ったれたことヌカしてるから、いつまで経っても依存が当たり前の、温室育ちの甘ちゃんから抜け出せないんじゃん。
ほんとに経済苦で学費払えないなら、給付以上に働いて稼げよ。でないと、頑張って働いて学業を両立させて払いきって大学を卒業した猛者たちに失礼だ。
もちろん、そういった依存が当たり前の温室育ちの甘ちゃんは、社会に出ても必ず問題を起こす。そしてお荷物で残るか、ドロップアウトしていく。結局、社会のためになってない。
塾生にマインドセットしていても、ひどい奴になると、
「頑張りたくないし、できるだけ遊んで過ごしたい。お金?親が何とかしてくれるし、いざとなったら生活保護あるし」
とか、平気でヌカしてくれる。
15年前だったら、塾生だろうとボコボコにして病院送りにしてるかな、間違いなく。
それぐらい腹立たしいけど、それがこれまでの日本の教育の成果だということ。親が権利意識当たり前で育ったから、子どももそうなってしまったのかな。
そして、そういった新しく入塾してきた子たちを、マインドセットで自立思考に変えさせていくのだから、多分、塾外の方から見ても難儀で骨が折れる作業であることは、想像に難くないのではないかと。
貧しい時代は「心」があった。
だから、ツラくても人の心の痛みに寄り添い、みんなそれぞれ自立して、乗り越えてきた。
豊かになった今、「心」が消えたというより、それぞれが受け入れなくなって儀礼的対応と個人主義が当たり前になった。だから、インターネットで地球の裏側にいても繋がれるのに、人そのものの幸福感は以前より満たされなくなってしまった。
そして、誰かが何とかしてくれる、最後は国が何とかしてくれるという依存丸出しの生き方が正当化される時代に退化してしまったのだろうか。
私は政治家でもなければ、経済にも精通してないので、はっきりとは言えないけど、この国がこれだけ借金を抱えてるのも、結局はそのときそのときの政治家や役人が「いずれ誰かが何とかしてくれる」という、依存のもとに起こってしまったねずみ算要素にしか思えない。
結局、自分の身は自分でしか守れない。
だから、私のようなアウトサイダーも老後を考えて蓄えながらも、幸せに生きていくために有意義な消費をしていきたい。もちろん、誰に対しても胸を張って生きられるように。
2018年、私は塾屋として何ができるのか、何を次の世代に伝えていけるのか、何を残せるのか、そんなことを考えながら、2017年のカウントダウンを過ごした。
こうやって考えるほど、次の世代に託す想いは増え、塾同士の集客競争などどうでもよくなる。
冬期講習全額無料とかなんちゃらかんちゃらとか入会金無料とかは、AQURASという塾には何にも関係ないこと。
ウチの親御さんたちはそういうところを見てないので、ありがたい。
本当に恵まれてます。