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20代の終わりから30代前半の人生が、私の中では最も苦しい時期だったのですが、そんなときでも手を差し伸べて私の「心」を救ってくれた先輩塾長がいました。
この方も苦労人で、何度も失敗して塾を潰しては、何度も這い上がって、最後は地域に根づいた大学受験の予備校をされていた立派な先生だったんですよね。苦労を知る方は、同じように苦労をしている者の気持ちが分かるのでしょう。私も兄貴分のように慕っていました。
AQURASを立ち上げる前、まだ大手進学塾で管理職をしていてほどほど嫌気が刺していた頃、飛び込んできたのは彼の突然の訃報でした。
それを知ったときに私は愕然としてしまい、立ち上がれなかったんです。
これから一体、誰を信じればいいのかと。
自分が絶好調のときは、有象無象含め、たくさんの人間が近寄ってくる。
絶不調のときは、ほとんどの人間が嘘みたいに去っていく。
それが、人づきあいの本質なんでしょうね。
自らが本当に苦しいときこそ、真につき合うべき人が分かるものです。
だからこそ、私にとってはあまりにも数少ない貴重な信頼できる人を失ったわけで、もはや誰にも心を開けないと絶望した時期もありました。
そこから何とか立ち直って、その後AQURASを開塾。
紆余曲折ありながらも、ここまでやってくることができています。
先日、彼の墓前に出向いた塾組合の先輩塾長から、私も全然知らなかった彼の眠る場所をお聞きすることができました。
昨日の投稿で12年間ともに過ごした院長になった幼馴染の友と21年ぶりに再会することになったわけですが、その院長を務める幼馴染のクリニックも鎌倉にあり、彼の眠る場所もまた偶然なことに鎌倉…。
このタイミング…呼ばれているのかな?とか思いながら(笑)
私にとっても、丁度いい節目だったのかもしれませんね。
幼馴染の院長と21年ぶりに再会する前、稲毛スタッフの岩橋をお供に、彼の眠る鎌倉霊園へと脚を延ばしました。
ここで私の大失態なんですが、先輩塾長の名字しか知らなかったため、管理事務所で名字を調べてもらったところ、同じ名字の方が130名もいることが判明…本人を突き止めるまで、数人のスタッフ総出で30分くらいお手間を取らせてしまった…いや、反省します。。。
せっかく鎌倉まで来たのに、外は本降りの雨。
鎌倉霊園が広すぎて迷子になり、岩橋とふたり迷子の車で彷徨いながら、何とか先輩塾長の墓を発見。花を手向け、ようやく手を合わせることができたわけで…。
「先生、会いに来ましたよ…」
彼は、私が足を運んで、喜んでくれているだろか…。
私の顔を、私のことを覚えてくれているだろうか…。
岩橋が広々とした霊園を雨の中散歩している間、私は激しい雨粒を傘が弾く音を聴きながら、彼の墓前で20分くらい立ち尽くしていました。
「先生、メシごちそうしてもらってないですよ…いっしょにメシ行きたいっすね…」
確かに、亡くなられて9年になる今、墓前に来ることはできました。
間接的にも、彼に再会することはできたわけですが…。
でも、会いたかった人の「声」は、私にはまだ聞こえてこない。
私がもっと徳を積んで、悟りを開けば、いつか彼と会話することができるのだろうか…そう自問自答して墓前での時間が過ぎて…。
私には、その答えがまだ見つかっていません。
ただ1つ、さみしいな…と思うことしかできない。それが歯がゆかった。
そんなこんなしてるうちに時間になってしまった。行かなきゃ…。
今度は9年も間を空けずに、また会いに来よう。
「先生、必ずメシごちそうしてもらいに行きますよ。食の恨みは怖いからねw」
いつか、また会えるだろうか。
あの温かい言葉を、もう一度聞きたいなと叶わぬ願いに想いを込めながら。
まだまだ彼が自分の予備校でしたかったことは、たくさんあったはず。
そんな彼の想いと、ひょっとしたら途中こんな形で逝くことになると思っていなかった彼の遣り残したことを直接叶えることはできないけれど…。
その分、今を生きる私や私たちが、彼の分までやりたかったことを叶え、人生を充実させて謳歌することを果たすべきだと思うし、それこそが彼の想いに対して応えることになると、私は思ってしまうんですよね。
泣き言を言って後ろめたい気持ちに限られた時間を費やすのは、有意義とは言えません。泣いていい時間を最小にとどめ、失敗を恐れずにどんどん行動する。
彼の私に対しての最後のメッセージだったかもしれませんね。
何だか長くとりとめのない内容になってしまいました…。