塾長プロフィール
西船橋工房 塾長
村上 浩司(Hiroshi Murakami)
【略歴】
生後まもなく船橋市の芝山団地に移り、その後千葉市の稲毛海岸に引っ越して、ヘタなりに硬式野球漬けの中学生時代を過ごした。
市立千葉高校に入学後、ソフトボール部でなぜか投手に。腕力を活かして4番打者を目指すも、あえなく撃沈。投手しかできるポジションがないと野球経験者から陰口を叩かれる。
塾を開いてからは、野球部の塾生をソフトボールの世界に引っ張り込んで、そのまま野球を引退させようと画策中(もちろん冗談)。
下投げの最高球速は、社会人になって出した108km。(野球だと、体感速度は142km?)自身の人生の中で、本当に数少ないちっちゃな個人的自慢。
県内の大手進学塾で教壇に立ってから、今年で塾歴28年目。
千葉大学工学部在学中に、西船橋で塾を立ち上げ、経営を始める。
塾生数3ケタを超えたのを機に、それまで築いてきた塾を売ってしまい、大手進学塾での管理職を経て、再び独立。学力再生工房AQURASを立ち上げる。
最近の趣味は、スタッフになった教え子たちや、就職して社会人になった元スタッフたちと呑むこと。それと、中学生・高校生の野球部の塾生たちに下投げ(ウィンドミル投法)を伝授すること。
座右の銘は “less is more.”(限るから本質に近づく)と “打率は良くて3割、残りの7割をいかに意味のあるものにできるか”
“財を残すは下、業を残すは中、人を残すは上” という信念のもと、塾生を精神的にも学力的にも強く育てるために、日々の精進を怠らない。
学力再生工房AQURASでは常に塾生や親御さんとの対面による現場指導に邁進する傍ら、現在は、山口県での空き家再生や家じまいに関する問題全般(遺品整理や生前整理、ゴミ屋敷処分など)へのコンサルティング、中山間地域におけるまちづくりなど、地域イノベーション創発を目指した社会課題解決事業にも携わっている。
2025年3月、山口大学大学院 技術経営研究科【専門職大学院】修了(技術経営修士)。専攻は、オープンイノベーション。
修士論文のテーマは『中山間地域における持続可能なコミュニティ・ビジネスモデルの検討』で、過疎化が著しい地域における新しい地域運営モデル実現策を研究、サステナブルなビジネスモデルを構築した。
長年の塾業界での指導経験、学力再生工房AQURAS運営から培った人材育成モデルをさらにブラッシュアップして精度の高い教育サービスを各ご家庭に提供するため、大学院で学んだオープンイノベーションの実践を通じて、お子さんの自立と自律をさらに高めていけるだけの時代に即した高品質の教育サービス提供に活かすことで、塾生ひとりひとりの更なる個別最適化を図っていく。
稲毛駅前工房 塾長
佐藤 黎司(Reishi Sato)
【略歴】
1999年の年末に札幌市で生まれる。
名前の黎司には、2000年代の黎明期(夜明け)を司るリーダーになってほしいという願いが込められている。
父が新潟大学の先生になったことを機に新潟市に引っ越し、小学生の頃から高校まで硬式野球漬けの日々を送る。
学業では、新潟県立新潟高校に入学。入学して最初のテストで学年360人の中で300位以下という成績をとったことで危機感を覚え、一念発起。野球部で朝から晩まで汗を流しつつも、学習計画を自分で立て、やるべきことを徹底的に行うことで成績も向上し、塾に行くことなく現役で東京大学文科一類に合格。
高校時代に手の骨折など2度の大怪我を負ったことで、大学では野球を断念し、合気道を始める。大学でも前十字靭帯断裂に見舞われながらも、ほぼ毎日稽古に励み、最終的には主将・副将以外の同期で唯一、二段を取得。なお、合宿時に、新検見川にある東大の施設に通っていた。
アルバイトとして塾講師などを経験したものの、一度社会人としての経験を積むため、エンジニアとして某大手ITセキュリティ企業に入社した。
社会人経験を積む中で、改めて教育への想いが高まり、学力面だけでなく人間的にも成長し、自立した人間を育てる場を作りたいと考え、村上先生とのご縁で稲毛教室の塾長に就任。
趣味は、野球・サッカーなどのスポーツ観戦、読書。最近の愛読書はルソーの『エミール』。
「I disapprove of what you say, but I will defend to the death your right to say it.(私はあなたの意見には反対だが、それを主張する権利は命がけで守る)」を座右の銘とし、自分と異なる意見であっても真摯に向き合うことを信条とする。
塾屋歴は長いですが、未だに大半の塾の先生とは話が合わないんです。
「塾長って、なんで塾やってるんですか!?」
「英語の教え方は最高だし英語は凄くできるようになるけど、厳しくて怖いし、しかも冷たいし。なんで塾やってるのかなと思って」
以前、ある女子塾生から聞かれた質問です。
唐突だったのでちょっと面喰いながら。
よく聞いてきたなと思います。
本人目の前にして、結構勇気のいる質問ですね(笑)
まぁ、確かに表面的に優しくすることはまずしませんね。
だから自分に甘い子からは、思いっきり嫌われますし、そもそも好かれたいと思わない。
私がどうして塾を経営して、塾屋であり続けるのか?
ちょうどいい機会かもしれないので、敢えて文章にしてみます。
実を言えば、私は20代の頃と違って、SVOCの書き換えはこうだとか、関係代名詞の使い方はこうなんだとか、関数の解き方とか図形の証明の仕方などなど、そういったことを教えるのは、あまり興味がないんです。
それらの学習が大切なのは当たり前のことですが、テストで点数を取ることが「勉強の目的」だと思っている子どもが多く、それを助長するような気がして、本音としては、あまりそういうのはしたくなかったんです。
これからの時代を生きる子どもたちに肩身の狭い思いをさせるようで、かわいそうな気がして。
定期テストの20点アップとか30点アップのための勉強など、そんなものは一過性のものでしかなく、ただ虚しさしか感じられません。
そんなつまらないことを教えるために、塾なんてやりたいとも思わないし、塾生を相手にしたいとも思えない。
極論から言えば、授業を受けたいならどこにだってある時代です。月額980円で授業動画見放題にした課金アプリを筆頭に、通信教材でも映像による説明サービスもある。
もっと言うなら、YouTubeでそういった動画名を検索すれば、授業動画がこれでもかというくらい、無料でじゃんじゃん出てきます(笑)
本気で授業を受けたいなら、そういったモノをどんどん活用すればいいんです。
私は当たり前とされている勉強の内容よりも、子どもたちの持っている未知の「あらゆる可能性」を引き出してあげることをしたいんです。
中間テストや期末テストの20点とか30点アップよりも、将来どんなに役に立つことか想像しなくてもそんなのは誰だって分かるはずです。
子どもたちが何かに気づき、自ら行動することにより、将来人生の大きな利得となるようなものを、大人になる前にしっかりと知らせたい。
これからは、小学生でも悟れる時代になっていくでしょう。
多くの子どもたちを見ていると、たくさんの可能性を持ちながらも、様々な障害(邪魔)のために、その可能性を自分自身でも知ることがなく、大切な時期を何も気づかずに過ごしてしまうことが少なからずある気がします。
ここで言う「邪魔」とは、時に人であったり、環境であったり、親・先生・友人・メディア・情報…そして自分だったりもします。
では、私ができるのは具体的に何なのか?
「一般的に教えることが困難な分野を、子どもやその親に伝えること」です。
それは「自分への気づき」「感情の持ち方」「物の見方」を私にしかできない方法で伝え、子どものあらゆる可能性を引き出すこと。
色々な塾の先生方にお会いしたり、場を共にする機会も多いですが、ほとんどの先生方はとにかく生徒さんの目先の成績を上げること、志望校に合格させることのお話をされる方ばかりです(もちろん、そうでない先生もいらっしゃいます。ごく少数ですが)。
ですので、私はこういった先生方とは話が合わないんです。
私は見ている先が、一般的な塾屋の方と違うんだと思います。
私も、受験英語の指導で数多くの教え子たちを最難関と呼ばれる高校に合格させてきましたが、今やっている塾生への意欲を喚起させるマインドセットは、英語の難問を教えることよりも遥かに難しいです。
私が見出す塾の価値は、目先の点数アップではなく、子どもたちの可能性を高めて夢を自分自身の力で前向きに叶えさせるための強さを養成することにあるからです。
自らを悟り、精神的強さを持った子は、必ず社会に出て成功するはずです。
そういった子どもたちをひとりでも多く、世に輩出すること。
私がなぜ塾をやってるのか…ここまでで私の回答とします。
(ほんとは、大学出てから専攻していた都市計画の仕事に携わるか、建築士になった方が良かったのでは…と、たまに振り返ることがありますが…笑)
他の塾屋の方が簡単にできないこと、まず誰にもできないこと、そこに私自身のこの仕事への夢とロマンがあります。
ですので、これからもとことん尖がって、突き詰めていきたいと思います。
AQURASの「原点」
AQURASは築40年の古いアパート、それも6畳一間の小さな部屋で始まりました。
とても「教室」とは呼べない、しかも、触ると緑色の壁が崩れ落ちるというくらい年季が入っていました。
それに、住居用のアパートなのに、お風呂がないという…(笑)。
小さく、ほんとに小さく始まった塾の、なつかしい思い出です。
塾生が友達を呼び、どんどん横につながり、人数が増えすぎて、ついには押入れまで机として使いました。6畳一間の部屋は、講師も含め、人で溢れ返りました。
「床が抜ける!(怒)」と、アパートの大家が乗り込んできたのも、今となっては良い思い出です(笑)。
そして、駅前の広い場所に移転。AQURASを開塾して、5ヶ月後のことでした。
今思うと、あの狭い古いアパートは「居心地が良かったなぁ」…と感じます。
そんな学習環境だった「塾」と呼べない塾でも、日々の指導は決して容赦せず。
中3生の半数が偏差値60以上の高校に合格し、私立高校の特待生合格も同数出すことができました。
設備もひどく、何もなかったけど、いつも塾生の笑顔と明るさ、やる気と真剣さに溢れていた気がします。手を抜いた塾生には厳しく叱りもしましたが、消えていく塾生は1人もいませんでした。
そうですよね。
塾生も、講師も、みんな「心」でつながっているのですから。
あのときのアパート塾は、私がAQURASを運営する上での「原点」です。
これからもずっと初心を忘れず、塾生から必要とされる「寺子屋」でありたいと、改めて思います。
そして…。
開塾から3年経って、さらに広いビルに移転。多くの塾生が、大きな夢を描いて日々の授業にやってきます。
地元だけでなく、市川市や習志野市、鎌ヶ谷市や八千代市、印西市、そして埼玉県から電車で通塾する塾生も入ってきました。
とはいえ、AQURASは塾長の私がひとりひとり全員に目を行き届かせるため、今後も少数精鋭の塾を貫いていきます。



