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東京都の小池 百合子 都知事が先日、女性自身の取材で話した内容が「真理」を突いてるなぁと思い、今日はその内容を取り上げてみます。
以下、小池都知事の「なるほどなぁ~」と思わせる発言です↓
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「どんなときも前向きに、『この試練を乗り越えれば成長できる』と思うことができれば、人間、強いものです」
「私は自分自身をリスクテーカー(=危険を覚悟で挑む人)と表現しているのですが、最初からダメだと思わないで、とにかく、心に火がついたら『エイヤ!』と飛び込む。そのときこそが最大のチャンスなんです」
「人生は一度きり。やらないで後悔するよりやったほうがいい。たとえ失敗してもそれは自らの糧になる。一歩踏み出すことでひっくり返るかもしれないし、大きく転べば痛みも感じるでしょう。それでも、何もしないよりは必ずプラスになると思っています」
「基本的に、私はストレスを感じません。あえて鈍感になる。目の前のハードルをストレスだと思わずポジティブに捉える。できない理由を並べるよりできる方法を探す。つまり、『どうやって切り開いていくか』を考えることに喜びを感じています」
「どんなに厳しい局面でも、神様が与えてくれた試練。ここを乗り越えれば『さらに自分を磨くことができる』と思ってみてはどうでしょうか」
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小池氏に関しては、人によって好き嫌いがはっきり分かれるので、その是否はともかく。
こういった考え方をする人が、次の時代を担っていくんだろうなというのは、容易に想像つきます。根性論で苦難の連続在りき…ばかりを正当化する年輩の方々には理解されることはないでしょう。
できない理由を考えるより、やって失敗してから考える。
だって、命までは取られないんだから。日本という国自体が失敗に寛容ではないし、失敗した者にものすごく冷たい社会です。再起するのがすごく難しい国なんですよね。
だから、銀行なんかは未だに減点法での人事を変えようとしない始末。
失敗して学ぶことは多いはずなのに、失敗した瞬間から出世コースから外れるとかいう昭和的発想はやめてもらいたいですよね。これでは、若者が失敗を恐れて何もしなくなる。
私が共感するのは、敢えて「鈍感」になることです。
世の中には「鈍感」という言葉にネガティブイメージがつきまとっています。
「敏感」でなければ時流に乗り遅れ、ダメな人のレッテルを貼られる風潮がパブリックでもプライベートでも見受けられます。
「敏感」はある意味いいのですが、その結果、些細なことですら気にするようになってしまい、無意識にストレスが蓄積されていくんですよね。気が張り詰めて、心からなかなか安らぐことができない。その結果、十分睡眠をとっても疲れが抜けないという悪循環に。
『ストレスフルは、ナイスガイ!』なんて謳ってたビジネス誌がありましたが、なんか腑に落ちません。ストレスを抱えることを正当化する社会は違う気がします。
できるだけストレスを溜めずに、日々楽しく、幸せで充実した人生を過ごしたいと思うのが、人間だと思いますから。
「鈍感」でいた方が、周りの変化に流されず、冷静に、客観的に物事を見れます。
外野があーでもないこーでもないと喚き散らしている中で、物事の本質を見極め、何が正しいのか、あるべき道なのか、必要とされているものは何なのかが分かってくるんです。
私も20代~30代前半までは「敏感」であることが絶対だと思っていましたが、年齢を重ねてくると、明らかに「鈍感」でいた方が視野が一気に広がりました。
どんなに悪口を言われようが、ボコボコに潰されようが、おかげで馬耳東風です。
そのためか、自分が「良い」と信じる塾の指導を貫くことができています。
私のやっている塾の指導は、他の塾さんから見たら邪道でしょう。
実際に散々悪口言われます。「あの塾は子どもをマインドコントロールして、宗教の道に引きずりこむから、絶対に行くなっ!」なんて言われてるみたいで、それでも痛くもかゆくも何ともありません(笑)
そもそも、マインドコントロールとマインドセットの区別もついていない塾業界の方々にボコボコに潰されようが、そんなもん知ったことではありません。
私の信じる、子どもの「心」を書き換える指導は、子どもが自ら人生を深く考えるようになり、幸せへの道を自分自身で試行錯誤しながらも構築できる「強さ」を持った子に育て上げる…というものであり、目先のテストや受験で点数を取らせる指導とは方向性も基準も180度異なるからです。
そんな邪道な(?)指導でも、おかげで地元からも遠方からも入塾希望者が集まってくるのを見てると、私は「鈍感」で流されなかった故に、己の信じる指導を貫くことができているんだなと思うし、間違ってなかったんだなと思えます。
小池都知事も「鈍感」であろうとする姿勢があるから、これだけ世の中をひっくり返すだけの大仕事を平然とやってのけてくれてるんでしょう。凄まじいです。『21世紀は女性の時代』を体現してくれている、稀有な存在といったところです。
相当前の首相を務めた小泉 純一郎氏も「鈍感学」を提唱されてましたし、やはり通ずるところがあるんでしょうね。
ということで、私もますます「鈍感」の道を究めていこうと思います