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西船橋工房の塾生で、柔道が県で指折りの強さの子がいますが、どうしても優勝までは届かないみたいなことを話してくれています。
改善点は分かっているけど、楽な方に逃げてしまってツメが甘いまま試合で敗北する。だから悔いが残る…その子は、一番肝心なところで踏ん張ってやり切ったことがないと言っています。
その是非がどうなのかは、今回は置いておきます。
今から書くことは、単に私が思うところだけですので、ご了承を。
私も中学まで硬式野球だったし、高校でソフトボールで投手だったので、勝負事や勝ち負けがどれだけ大きいことなのかは、人並みに理解しているつもりです。
試合であれば、マウンドを任された以上、全力で投げる。
必死で闘って、優勝が懸かった試合で負ければ、ひとりきりになって涙を流す。
すべてのプライドを捨てて、泣きじゃくりました。
チームの名誉を懸けた試合を任され、みんなの想いを胸に散々打たれて負け試合をつくってしまい、思い切り泣くしかできなかったから。
ずっと練習に明け暮れ、先輩からドヤされながらも必死で食らいつき、それでも負ける。
持てる力のすべてを出し切り、それでもそれでも負ける。ある意味、残酷な結果です。
第三者となった今の私から見ると、当時の私だけでなく一心不乱に闘ってくれたチームのみんなの姿は、観ている人たちに充実感を与え、さわやかな気持ちにさせてくれます。
なぜなら、当時の私含め、みんなの涙には未来があるからです。
可能性を感じさせるからです。
この試合では負けた。
でも、次はきっと必ず…と誓って、厳しい練習に潔く戻っていく。
本気で涙を流せる人間は、必ず再生できると私は思っています。
本気で流す涙は、未来を含んでいるんです。
映画やTVを観たり、本を読んで泣く場合もあるけど、生の体験で流す涙は、自分だけのかけがいのない涙だと、私は思います。
スポーツで流す涙が「絵」としても美しく、かつ人の心を打つのは、彼らが自分のすべてを投入して流す涙だからです。そう考えると、スポーツの場は、公の場で感情を全開にして、それを観る人と共有できる数少ない場なんでしょうね。
スポーツで全力を尽くしても、勝てるとは限りません。
世の中には、どんなに頑張ってもできないことがあれば、不条理なこともあります。
そんな悔し涙を流して、少しずつ世の中を理解していく。
泣きながら不条理な世の中で強く生きていく術を身につけていく。その先に未来がある。
涙が乾いたとき、少し大人になった自分として「再生」し、夢見がちな未来は、より現実味を持ったものに軌道修正され、一段と打たれ強く成長していくものです。
本気で流す涙は、過去への清算です。
必ず、次のステップに進むための原動力となるはずです。
だから、恥ずかしがらずに、泣きたいときは思い切り泣けばいいんじゃないでしょうか。
もちろん、悔いなく闘い抜いたと胸を張って言えるかどうかにもよりますが(笑)