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こうして長期間ブログを書いていると、書こうとするネタをありとあらゆる方向から探すわけですが、ときには「このネタ挙げてもいいのかな?」と迷う局面もあります。
とはいえ、いかに批判されようがボコボコに言われようが、子育てに奮闘されている世の親御さんや読者の皆さんに有益な情報を提供すべき…という私自身の見解に基づいて、これまで敢えてそんなタブーな部分にも触れてきたので、今日も敢えて取り上げたいと思います。
メディアでは相当取り上げられているので、ご存知の方も多いかと思います。とある大女優さん(故人)の娘さん(一応、女優さんらしいですね…)が、付き合っていたホストへの恐喝未遂容疑で逮捕された事件がありました。
教育の世界で出すべき背景の方々ではないので、ここでは敢えてお名前は挙げませんが、この一件に関してデイリー新潮が、この娘さんから学ぶ「正しい子育てとは?」という記事を掲載していたので、文面全部が長いこともあるので、ここでは一部取り上げます。
以下、本文抜粋です↓
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常に蝶よ花よと愛情たっぷりに育てられたかどうかは不明ながら、少なくとも芸能界という険しい道においては、母は娘の前に立ちはだかる棘を取り除き、安全で真っ直ぐな道を用意してあげていたことは間違いない。
例えば、慣れないバラエティに二人で出演したり、亡くなる直前にも母娘でイメージキャラクターを務めていたCMの契約更新を結んだり、考えられるすべてのおぜん立てを整え、天国に旅立っていったのであろう。
(中略)
子どものためのおぜん立ては、どこまですべきなのか。
出来の悪い子どもを厳しく叱り続けるのと、あえてほめて伸ばすのでは、どちらがいいのか。
昨今の風潮で言えば、「ほめて育てる」の方が優勢だろう。
スパルタ教育は死語となり、スポーツ界でも鬼コーチは絶滅寸前だ。
ほめられれば誰でも嬉しいに決まっているし、叱ることで子どもの心を傷つけたくはない。そもそも叱るという行為は非常にエネルギーがいるわけで、できることなら甘やかして育てたい……。しかし、そうした「甘い親」が増えたことによって、一人前の人間として育ちきってない若者が増えているという。
独特のタイトルが話題を呼んだ教育関連の新書『ほめると子どもはダメになる』で、著者の榎本博明氏は子どもに甘い親に警鐘を鳴らしている(以下同著より抜粋、引用)。
榎本氏はこう述べている。
「物わかりの良い親”になることは避けなければならない。ときに子供から見て理不尽な“ダメ”があっても、親は自分の価値観をぶつけることで子どもを鍛える」
「親の言うことを受け入れるにしても、それに反発するにしても、子どもの心はその“壁”によって鍛えられ、成長する」
「伝えたいこと、伝えるべきことはしっかりと伝えること。叱るべきときは毅然とした叱ること。そして子どもにホンネをぶつけ、子どもと一緒に楽しく過ごして、気持ちを通い合わせること。それが何よりも大切なことといえる」
「厳しい人生をタフに生き抜くことのできる心を育てるには、親が絶対的な愛情を向けるとともに、“壁”として立ちはだかることが必要なのだ」
もちろん、【母親実名のためカット】さんならずとも、我が子の人生の安寧を想うばかりに、なるべく辛さや哀しみが少ない道を作ってあげたくなる気持ちもわかる。
しかし榎本氏は、こう指摘する。
「そのかわいそうという心理は、あまりに近視眼的だ。もし望ましくない行動や歪んだ考え方が改まらないままおおきくなったら、将来もっと深刻な意味でかわいそうなことになるのではないか。本来は親元を離れて、サポートなしでも、一人前に強く生きていける逞しい心に鍛え上げ、社会に送り出すのが親の役目であり、愛情であるはずだ。自分が死んだ後も、子どもにはあと一世代生き抜いてもらわねばならないのだから」
厳しいことを言えない親に育てられた子どもは、思い通りにならないとすぐ感情的になり、イライラしたり、怒り出したり、落ち込んだりするという。
また、そうした子どもたちは、心が鍛えられていないため、他人に依存的で、自分の問題を自分で考えて解決できず、人に助けてもらおうとする、甘えが強い人間になってしまうというのだ。
心が強い子どもを育てるには、仲良し親子になるよりも、子どもの“壁”となることが大事なのだ。さもないと、後ろ盾がなくなった途端に、道から転げ落ちてしまうかもしれない。そして、その転落を食い止めてくれる親がいつまでも健在なわけではないのだ。
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こちらのお母さんも娘さんも、私は直接接しているわけではないので、あくまでも第三者としての視点でしかなく、ひょっとしたら、親子だけにしか分からない事情があるかもしれません(もちろん、ないかもしれませんが)。
その上で、榎本氏の上記の指摘は、大半当たっている感があります。
私も普段ブログで訴えていることと、ほとんど大差がないようか感じですので。
褒めて伸ばすという昨今の風潮には、私も警笛を鳴らし続けてきました。
一歩間違えるとお子さんが「自信を持つ」⇒「自意識過剰」に陥ってしまい、プライドだけは高いのに打たれ弱く、困難を乗り越えていけない子になってしまうわけで、残念ながらこういった子を私もこの仕事をしてきた20年間で数多く見てきました。
そして、それ以上に問題なのは、親が自分のお子さんから嫌われたくないが故に、表面的な褒め育てに走ってしまっていることです。
「友だち親子」という言葉が蔓延してしまい、上下関係や主従関係が曖昧になることで、お子さんからナメられてそのまま終わってしまい、お子さんのわがままをすべて受け入れざるを得ない、どうしようもない状況に追いやられていくんですよね。
親が子どもに対して、覚悟を決めて「嫌われ役」になれないご家庭が異常に増えてしまい、逆にそういった厳しさを与えてくれる存在を「自分のやり方とは相反する存在」だと敵視して攻撃する風潮になってきたのも大きな問題です。
第三者が相手のことを思って厳しく指摘してあげたくても、それをした瞬間に「ウチの子を心神耗弱に追い込んだな!名誉棄損で訴えてやる!」と攻撃してきた親御さんも巷で過去何件か見てきたので、これでは誰も「叱る」行為をしなくなるんだなと思わされたものです。時代は、確実に子どもたちをひ弱にし、生きる力を奪っています。
そんな矢先に、国からは「生きる力」を育むと来たので、少し複雑な気分です。
論理的思考力を含む学力面の増強は歓迎ですが、それ以上に、精神的な面での教育を、子ども以上に親にどう伝えていくか…私が思ってしまうのは、その部分です。
体罰と呼ばれる暴力は親子関係と言えど必要ないし、ご法度です。
ですが、愛のある厳しさは絶対に必要だと私は確信していますし、榎本氏の指摘通り、親が壁として立ちはだからなきゃいけない局面が、子どもが大人になるまでの間に相当数あるのは間違いありません。
お子さんのために予め石ころを取り除いてお膳立てしてあげるのが「親心」ではないと、私は思います。そして、お子さんのことを想うなら、早い段階で、敢えて石につまづかせて転んでケガさせた方が、後々絶対に良い結果につながります。
本人がケガから学習して、生きる術を学びますから。
親がお膳立てをしてしまうと、子どもはその苦労が分からず、大人になってしまいます。
今回の場合は、お母さんがすでに近くにいませんので、彼女自身が自分で気づいて、生き方を正していくしかありません。でも、大人になってから思考を変化させ行動を変えていくというのは、柔軟な対応ができる子どものうちに変えていくのに比べると、はるかに難しいと言わざるを得ません。
だからこそ、子どもが育つ過程の中で、タイミングを逃さず確実に壁をつくってあげてほしいと、世の親御さんや、読者の皆さんに、切にお願いしたいものです。私もまた、塾という現場で精一杯、塾生たちに「愛あるヒール」として指導を貫いていこうと思います。
娘さんは釈放されたようですが、今は堕ちてしまった今後の彼女の前途に、それでも期待したいものです。