「友だち親子」になりたい?10年以上前から言ってきたけど、バカなこと言っちゃいけませんよ、お母さんっ!(再アップ)

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【2016年12月2日の投稿です】

 

 

10年以上前から私が現場で言い続けてきたことに、ようやく現実が追いついてきた感じです。

 

 

最初からこうなることは、分かりきっていました。

 

 

世のお父さんお母さんに訴え続けてきて10年以上経って、結果的ですが、東洋経済がこれを取り上げてくれています。

 

 

記事を引用するので、今日も少し長いですが、お子さんの育て方に強い関心を持っているお父さんお母さんは、読んでみて下さい。

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「褒めて育てる」でダメになった日本の若者

 

東洋経済オンライン 1月16日(土)15時0分配信

 

褒められるのが当たり前になると、挫折に弱い人間になってしまう?(写真 : kou / PIXTA)

 

 

頑張れず、傷つきやすい現代の若者たちは、日本の文化風土を無視したエセ欧米流の「褒めて育てる思想」の産物であるという。自著『ほめると子どもはダメになる』でこうした現実を指摘した臨床心理学者で、MP人間科学研究所代表の榎本博明氏に、詳細を聞いた。

 

 

■ 「褒めて育てる」にはさまざまな歪みあり ──どうして若者の「生きる力」が衰えてしまったのですか。

 

 

褒められるのが当たり前になって育った。きついことは言われない。それは欧米流の「褒めて育てる」を歪んだ形で導入したからだ。暗黙の関係性や一体感で動く日本とは彼我の差が大きい。親子関係や夫婦関係に端的に表れている。

 

──暗黙?

 

たとえば身近な例で、食べ物の好き嫌いが激しい子どもに食べるようにどう促すか。まず「食べなさい」と命じるのは共に同じ。それで食べないと、米国の親だったら、だんだん語調を強めて「食べなさい!」と強硬に出る。ところが日本人の親は、お願い調に転じる。「食べてちょうだい」「お願いだから食べて」という具合。さらには「今日食べなくても、明日は食べるよね」と譲歩していく。それでも食べないと「もういい」と最後通牒だ。

 

 

米国の学者に言わせると、上の立場の親がお願いをするのが、日本ではなぜ説得の言葉表現になるのか、と不思議がられる。「もういい」は心理的な一体感や関係性が壊れるよ、という暗黙の脅しなのだ。

 

 

──米国ではつねに言葉でストレートに表現すると……。

 

すべて言葉とスキンシップでのコミュニケーション。欧米では子は親とは別の個人として厳しく育てられながら、褒めていいところは褒める。夫婦はのべつ「あなたすてきよ、愛している」などと言い合う。日本では考えられないが、欧米人はそれを言わないと愛情を感じられない。日本人には心理的な一体感が形成されているので言葉なしでも通じる。その文化の根底の違いが加わって「褒めて育てる」はさまざまな歪みを引き起こす。

 

 

──「褒めて育てる」が推奨されて、20年を超えます。

1990年代から推奨されて、それと並行して、学校教育でも新学力観が適用された。それまでの競争による知識偏重をやめて授業中の態度や関心で成績を決める方向だ。テスト結果のトップクラスの子が5段階評価の5ではなくて4になり、テストはトップクラスでなくとも、たとえば先生に頻繁に質問する子は5になる。これが文部科学省の基準に照らせば正しい。結果がすべてとすると、知識偏重の競争社会が深まってしまう。それを防止するために勉強のプロセスを評価するというわけだ。

 

 

国際比較で日本人の学力が低迷しているのは確かなのだが、褒めて育て、成績では厳しく競わせない。そういう風潮で育った今の親世代がまた子育てをするサイクルに至った。もはや褒めて育てるという思想は打ち砕きにくい厚い壁になった。

 

 

──厚い壁?

 

態度や関心でのプロセスを評価するとなると、ついつい自分に対していい態度を取る人に対して評価を高くしてしまう。日本人はとかく関係性で動くから、大人の社会の人事評価自体もうまくいっていないが、それが学校にまで持ち込まれた。グローバル化が進む中で、せめて学校では実力主義でやるべきだと思うのだが。

 

 

■ 褒められるのが当たり前になる子どもたち

 

 

──そこまで浸透したのですね。

 

調査の結果、年代で全然違う。若い人だと70%ぐらいが父親や母親によく褒められている。中年以上には、逆に父親は厳しかったという人が多い。文化がはっきり変わってきたのだ。無言のうちに一体感があって、はっきり言われなくても親の愛情は感じる文化から、厳しさ抜きの“エセ欧米流”が取り入れられて褒めまくる。子育て書にも子どもを褒めまくれば伸びる、そんなようなことがいっぱい書かれている。

 

 

──弊害が目立つのですね。

 

褒めまくられて育てられると、褒められるのが当たり前になる。逆に褒められないとやる気がなくなってしまう。「褒めてくれないと自分たちはめげる世代だ」と言う若者も多い。学生時代はそれで通るかもしれないが、社会に出てそれが通るわけがない。そういう若手社員は、うちの上司は褒めてくれないからモチベーションが上がらない、命令してくるからムカつく、さらには人間として対等な立場なのだから、人にモノを頼むのなら上司はお願いすべきだとさえ言い出すようだ。

 

 

──褒めに対する嗅覚も鋭い。

 

褒められ続けると、その状態を維持しなければいけなくなってくる。難しい課題にチャレンジしたら失敗するかもしれない。褒められ続けるポジションから落ちたくないから、確実に褒められる得意な課題に限って取り組み、難しい課題は初めから避けるようになってしまう。

 

 

■ 失敗で鍛えられてこそ自己肯定感は養われる

 

──失敗経験は大事なはずです。

 

その結果、難題にチャレンジして本人が鍛えられるということがなくなる。一方、褒められてばかりだと、しかられなくても注意されただけで自分が全否定されたように受け取って、怒り出したり落ち込んだりする気質になってしまう。小さな頃から大小の壁にぶつかっていれば、どう乗り越えるかの経験もあって、挫折に強い人間になっていける。

 

 

──失敗は糧になる?

 

しかられたり注意されたりすることで自分のどこがまずかったのか、いわば失敗を糧にすることができる。それを修正することで人は成長してきたはず。ところが、今の多くの親たちは価値観をなくした戦後の人たちに育てられたから、軸がないまま子育てし、子どもに対して壁にも、鑑にもなれない。子どもは子どもで、何でも褒められ肯定されるので、未熟なまま、頑張らないままできてしまっている。

 

 

──もともと褒めて育てるのは自己肯定感を養うためでは。

 

自分の力で壁を乗り越えていくことを経験して初めて自己肯定感は高まる。頑張ってもいないのにただ褒められていい気持ちになっていたのでは、本当の自己肯定感は育たない。ただおだてられて育てられてきたから、がつんとやられたらぽしゃんとなる。だから自己肯定感は低い。

 

 

現実に大学でも会社でもちょっと注意すると傷つく若者が増えていて、うっかり注意できない時代になってしまった。がつんとやられても、自己肯定感が強かったら自分に自信があるから簡単には潰れない。

 

 

本当の自信をつけさせるには、子どもを信じて鍛える体当たりの子育てから始めるべきではないか。特に幼少期には、たとえば歩き始めたとき、当然親は褒める。厳しい壁を作りつつ、褒めるときは褒める、でいいのではないか。何でも褒めてしからない子育てではダメだ。何かの折に褒めることは当然ある。

 

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以前(相当前ですが)、国内の某巨大自動車会社のミニバンの販売CMで、大人が何を叶えたいかという問いに、「友だち親子」になりたいというのを前面に出して販売促進をしていたことを覚えています。

 

 

私は、正直、虫唾が走りました。

 

 

天下の大企業が、親子関係をなーなーにして「お子さんと友だちになりなよ!」とか言ってるわけです。車を売るためなら、親子関係を崩壊させてもいいってことですかね?

 

 

怒りを通り越して、呆れかえりました。

これじゃ、この国の若者はどんどん歪んでいくだろうな…と。

 

 

我が子を励ましたり、鼓舞したりして勇気づけるのは素晴らしいことです。

褒めるということ自体は、何にも問題なく、ぜひお子さんにもそうしてあげてほしい。

 

 

でも、「友だち」になった瞬間から関係は「対等」になって肝心の上下関係が崩れ始めます。お子さんは時間が経つと自立心旺盛になり、対等な目線でしか付き合えない親をバカにし始めます。

 

だって、頼りないんですもん。

ついには自分の要望が通らないと、家庭内暴力に陥るケースもあります。

 

 

これまで17年間この仕事してきて、そんな状況に陥った家庭をたくさん見るハメになりました。友だち親子になって、お子さんのためになるケースなど、ほぼ皆無です。

 

 

褒める行為は素晴らしいと言いましたが、そこを勘違いして親が“自分の保身のため”に我が子を褒めるという勘違いケースが異常に多いのはなぜでしょうか?

 

 

少子化が進み、核家族が増え、子どもの価値は年々上がっていると思います。

その結果、親は「我が子から嫌われたくない」と思うようになり、お子さんに媚びていくんです。

 

 

なんと言っても、親自身が子どものために叱らなきゃいけない局面で、なんと叱れない。

 

 

理由は…「我が子に嫌われたくないから」です。。。

ちょっと、覚悟が無さすぎじゃないですか?

 

 

お子さんが健全に育つためには、褒めることも叱って直させることも、親の大切な務めです。

 

 

それを「嫌われたくない」という親の保身のための覚悟の無さ故に、お子さんを良い方向に正せるチャンスをみすみす潰してくれるわけです。

 

 

そして、自分では叱れないくせに、他人が我が子を叱ったりするとメチャクチャ激昂するわけです。

 

 

あなたが叱れないから、第三者がお子さんのことを想って叱っても、他人には凄まじく噛みつく。「自分に甘く、他人に厳しく」という、典型的な情けない親のパターンになっていきます。

 

 

私の塾でもそんなことがありましたので、そういったご家庭には退塾してもらって終了です。どんなにお子さんのことを想って叱っても、その意図すら親御さんが気づこうとしないなら、言うだけムダでしし、こっちも疲れますから。

 

 

褒めてばかりで叱らない子育ては、確かにお子さんとの関係では摩擦は小さいので、理想的かもしれません。でも、そんな都合のいい子育てなんて、あるわけありません。

 

 

叱らないで褒めて、その結果、親の言いなりになってくれるお子さんにしたいわけですか?

 

 

時間の問題で、お子さんのストレスは爆発しますよ?

いい子を演じてる方もツラいんですから。

 

 

そうなったとき、親であるあなたは家庭内で居場所を失うだけでなく、お子さんからも見下されるだけですよ。それが理想的な親子関係なんて、到底思えません。

 

 

そして、打たれ弱い子が増えたのは事実です。

 

 

たぶんこれから先の時代、褒められることが当たり前になるだろうし、褒められることしか子どもはしなくなるだろうな。その結果、ひとりひとりの若者の生産性は下落して、国際競争力もどんどん低下していくんじゃないかな…というのが、私が10年以上前に感じたことでした。

 

 

生きていれば、何かを成し遂げようとするのであれば、必ずどこかの局面で、ギリギリの勝負を要求されることがあるはずです。そんなとき、誰かが褒めてくれなきゃ何もできない…という若者にしたいわけですか?

 

 

サッカー日本代表だろうと、そういった世界を相手に仕事してる方など含め、徹底的に競争にさらされながらも、結果を出していくというのは、想像以上に大変なことです。頭が下がります。そういった方たちだけが勝ちあがるような世の中ではダメだと、私は思っています。

 

 

幸せをつかむ「強さ」を身につけさせるというウチの塾の理念で考えるのであれば、「かわいい子には旅をさせろ」です。それしかありません。

 

 

褒めるだけじゃなく、突き放すことお子さんを立派な若者にしたいなら、絶対不可欠なことなんです。「強さ」を身につけさせることで、お子さんは自立心を早い段階で身につけ、自分で考えて行動できるようになるんです。

 

 

褒めて伸ばす教育は、基本的には私も賛成です。

ですが、親の覚悟無さ故の「保身のための」褒めて伸ばす教育は、私は大反対です。

 

 

そして「友だち親子」も、あり得ません。

親が子どもに気を遣って接することでナメられるようになったら、それは親の自業自得です。

 

 

そうならないためにも、お子さんへの愛情を履き違えないように、世の親御さんにお願いしたいです。

 

 

今日も長くなってしまいました。

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